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手紙

3月のある朝、共に77歳の2人の男は、喪服の上着の内ポケットに手紙を忍ばせていた。同じ車に乗る彼らが向かう先は、ひとりにとっては姉、もうひとりにとっては叔母にあたる私の母の葬儀だ。

火葬場で皆と離れてひとりで弁当を食べ、控室に戻ったところで母の甥(77)に声をかけられた。見てほしいものがあると言う。ここ数年、彼が地元の美味しいサーターアンダギー を手土産に実家を訪ね、母とお喋りをしていたことは知っていた。
穏やかなそのひとときを、母が楽しみにしていたことも。
「最後に会った時、叔母さんにも見せたんだけどね」
渡されたのは3通の古い手紙だった。封筒には3セントの琉球切手が貼られている。

1960年の夏、事情があって生母と離れて暮らす中学3年生の甥っ子に、母は手紙を書いた。
「また、台風のおでましですね。はじめてお手紙をします。私が誰であるか貴男は知らないはずです。私は貴男の母の妹の〇〇で・・・」という書き出しで、今まで会いに行っていないことを詫びている。
「来年は受験だそうですね。姉はA高校の普通課程にとか話しておりました。私もその方がいいと思います。そして大学へも進学することです。貴男が大学へ行く頃は私も金銭的な援助も出来るかと思います」
これを書いたのは、沖縄本島から遠く離れた離島を出て3年目、自らも大学受験を控えた高校3年生だ。
高校の学費はともかく、本島での生活費を工面できずにいたところ、母の才を惜しんだ人の援助で進学が叶ったことを、むかし母から聞いた。

「貴男は成績も大変よいそうで、すぐパスすることと思ひますが、入ってからも成績が良くないと入らぬも同様と思ひます。そのために一生懸命お勉強なさい。『全科の総まとめ』を送りますので受けとってください。私も今は絞る身なので、高いのは送ってあげることは出来ません。次はまたお小遣をためて問題集でも送ってあげます」

その年の冬、受験の追い込みの頃にも高校3年生の母は、中学3年生の甥に手紙を書いている。
前の手紙に書いてあった問題集を本屋で探して送っていることがわかる。
「貴男が合格したら、私が使った参考書をあげると約束します。ですから頑張って下さい。ハガキでよいから受けとったと返事をして下さい。おばさん達に四六四九。体には常に気をつけなさい」
どの手紙にも、とにかく「勉強しなさい」という内容の、のちの母を伺わせる高圧的な文章が並んでいて息苦しいが、あの時代の年下宛ての手紙文は、こんな調子が普通だったのかもしれない。四六四九(よろしく)の語呂合わせに高校生女子のお茶目さを感じてホッとする。

3通目では、母は教育学部の学生、甥は高校2年生になっていた。
先日会った際、帰りが遅くなって家の人に叱られなかったかと気にかけ、7月になったらそちらに行くつもりだったけれど、歳の近い姪っ子が盲腸で入院してしまったので、それを放って遊びに行くのは良心がとがめると書いてある。
私は知っている。それから5、6年後、この姪っ子は九州で子供を産んだ母の産後の手伝いに、パスポートを取得してやってくるのだ。彼女に抱かれた赤子の私の写真が残っている。

「運動会や何にかで秋は気が散って勉強できないこともありますが、おこたらないように。高校での二年は一番のんきに潰せるといいますが、卒業して一番後悔の種になるのも二年の時のことです。”経験者は語る”」
うわぁあああああ。
受けとった母の甥(77)も、当時は反発心があった気がすると言っていた。この手紙には(制服の)ワイシャツを買うようにと3ドルを同封している。

数時間前のことを思い出す。
お坊さんが到着して、そろそろ始まるかな?その前にトイレに行っておこうとドアを開けたら、床に粗相の水たまりがあった。これは・・・たぶんさっき入ってた叔父さんだ。
母の弟(77)からは、昨晩9時過ぎと今朝早くに、わりとどうでもいいことで電話がかかってきていた。母がまだ解剖から戻らない夜、突然尋ねてきて私たち家族をすこし戸惑わせたのも彼だ。
若い頃からお金やお酒にまつわるやっかいごとと縁が切れない人で、定年前に飲酒運転で公職を辞し、70歳を過ぎた頃に離婚してひとりで暮らしている。一時期トラブル収拾に母が関わったことがあり、家に置いておくにはまだ幼かった私もそれに付き合わされた。乗り物酔いと退屈と怖い顔の大人が話し合っている場面の記憶がある。
何年かに1度、叔父は母に電話をかけてきた。「〇〇新聞に投稿が掲載された」「短編を書いたので読んでほしい」など、自分が書いた文章を母に読んで欲しい、読んで感想が欲しいという旨の電話だった。叔父からだというのは、会話の内容よりも母の態度ですぐにわかった。電話対応であれほどそっけなく、つっけんどんで、けんもほろろな母を他に見たことがない。「あの人が文章を書けるのは、一緒に住んでいた大学時代に、私がバイトをして買った文学全集なんかを読んでたからよ」と母は言っていたが、叔父の書いたものを読むことはなかった。
「たまには読んであげたら?お姉さんだったら的確な批評をしてもらえると思ってるのかもよ」
「いやよ。だって、読んだらもっと腹立たしくなるかもしれないじゃない」

副葬品として、生前母に頼まれていたものを棺の中に入れた。死んだら着せて欲しいと言っていたけれど体重が増えて着れなくなったお気に入りのワンピース、好きだった仏像の写真。進行役の人が「ご家族以外の方も何かありましたらどうぞ」と言った。もう誰もいなさそうだなと思ったところで、母の弟(77)が体を揺らしながら進み出てきた。そして「姉貴、手紙書いたから読んでください」と厚めの封筒を母の顔近くに差し入れた。

この人、ほんま性懲りもなく。
母上、ごめん。あれはちょっと阻止できんかった。

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