見出し画像

アニメで学ぶ哲学① 〜 ハンナ・アーレント 〜

こんにちは。本noteはアニメを哲学を使って読み解いていこうという企画です。

今回紹介する話はハンナ・アーレントについてです。

ナチスでホロコーストをやって戦後はイスラエルで裁判にかけられたアイヒマンをハンナ・アーレントが「悪の陳腐さ」と報告した事があったんだけど、近年(2011年)の研究で、ハンナ・アーレントの分析は間違っていた、少なくともアイヒマンには当てはまらなかった事が分かってきたんだよね。

.......と言っても哲学オタク以外にはハンナ・アーレントがどうだとか言われてもその議論の面白さが分からないと思うので、哲学の議論がアニメにどんな影響を与えたのかについて紹介してみようと思います。

さて、正義と悪といえば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
私はアンパンマンとバイキンマンを思い浮かべます。
他にも仮面ライダーウルトラマンといった作品を思い浮かべても構いません。
そして、それらの作品は「ヒーロー(正義)vs怪人(悪)」の構図を多くの場合とっています。

この時、アンパンマンはいつでも絶対的に正義で、バイキンマンはどんな時でもボコボコにされて、悪者扱いされる絶対悪です。
子供がみる作品は正義と悪の戦いであり、必ず正義が勝つストーリーばかりです。これは最もシンプルかつ昔から私たちがやってきた「正義と悪」の認識方法なのです。

さて、ここからが本題なのですが、ハンナ・アーレントはここにひとつの疑問を投げかけました。
それは「怪人や魔王って本当に悪いやつなのか?私たちとは違う存在なのか?」です。

この問いかけは哲学的に衝撃的な出来事でした。
なぜなら、
①悪い事をする→悪いやつ
②悪いやつ→悪い事をする
①と②により、「悪事をする人=悪いやつ」という認識が当然だったからです。
ハンナ・アーレントは「悪い事をしたからといって、悪いやつは限らない」という感じの事を言いました。

このハンナ・アーレントの問いかけが(間接的に)反映された作品として、進撃の巨人魔法少女まどかマギカ東京喰種ダリフラといった作品があります。以下で、それらの紹介をしたいと思います。

皆さんご存知、進撃の巨人は超大型巨人により壁を破壊され、人々が巨人に食い殺されるという物語でしたが、物語が進むにつれ巨人の正体は「同じ人間だった」という事が明かされます。

魔法少女まどかマギカという作品は、少女たちが魔法少女になって魔女と戦うアニメでしたが、物語の終盤になって、「魔女の正体は魔法少女であった」事が明かされ、多くの視聴者に衝撃を与えました。

東京喰種は上記の作品とは違うのですが、主人公の金木研が喰種になる事で、人間側からすると畏怖の対象でしかなかった絶対悪の喰種たちの中にも悪いやつもいれば、良いやつもいて、同じ「人間」だと感じれ、そこが泣ける物語でした。

ダリフラについてはあまり有名じゃないので、今回は割愛しますが、他にもぼくらの寄生獣などの作品もあります。

まとめると、進撃の巨人や魔法少女まどかマギカ、東京喰種がウケたひとつの理由は「敵も同じ人間であった」という仕掛けによるものでした。
まさに、この仕掛けの発想の手がかりを提供したのがハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」という概念です。

哲学の面白さを体験してもらおうという私の試みが成功したかどうかは分かりませんが、ここまで読んだあなたは紛れもない立派なオタクです。おめでとうございます。🥳👏🎉

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?