猫好き女のつらつら

猫好きです。 ある日突然始まるのが介護。コロナも加わり家にこもる日々、自分が何者でもな…

猫好き女のつらつら

猫好きです。 ある日突然始まるのが介護。コロナも加わり家にこもる日々、自分が何者でもないことに恐怖すら覚える日々ですが 色んな人の知恵を拝借し、お世話になり、生きています。 その経過の中で日々浮かんでは消えていく私の興味の対象を記録を残しておこうと思ってつらつら書いています。

最近の記事

主導権を取り戻す

丸2年働いた職場の都合によりこのこの4月はシフトを外れるよう勧告を受け、事情が分かるだけにこの状態を飲み込んだ。 そう言えば最後に会社員をした際も会社の経営状況が悪く、給料の遅延を致し方ないことだと飲み込んでいたっけ。 状況は違えど、両方の出来事に対して不満を持ちつつも、文句も言わず従った。 こういう人を優しいと捉えることもできるが、結局の所いい様に使われているだけだ。 私は自分のお人好し加減が嫌いだ。 いや違うな。 どんな待遇でも留まる事は相手に主導権を渡したままなだけ

    • 自分に空白を与える

      あっという間に11月。 今年もあっという間に終わっていくのだな。 忙しい日々ではあるがこれと言って変わり映えのしない日々だった と、思ってはいるが1年前と今日とではやっぱり違う。 去年の今頃では私の世界に影も形もなかったビジネス研修に参加することになった。 半分スタッフのような形体だったので、主催側は私が参加するものだと 思っていたようだが泊まりゆえ、家で診ている母をどうするかを決めかねてギリギリまで参加をためらっていた。 そんな私の事情を知りながらも何の躊躇もなく、私を

      • 過去からのエール

        7年ほど前のFBが上がってきて読んでると植松努さんと言う方の夢を叶えていく内容の講演会にいったようだ。 7年前と言うと我武者羅に邁進していた頃だ。 その頃に聞いて、夢を叶える重要性を感じてワクワクしたものだった。 それから7年の経過とともに私の環境は大きく変わった。 「夢よりも現実さ」と、諦めることを前提に生きる日々。 ただそれはそれで平穏で悪くはなかった。 ところがここ最近、私の平穏な世界でモノゴトが動き出した。 とたんに目に飛び込んできた過去の自分の言葉が私に響き私を

        • 介護以外何もなかった時

          誰かを紹介する時、 その人自身が身を置く世界を紹介として伝えることが多いと思う。 例えば、どこそこにお勤めの…とか、会社を経営されてるとか、様々ある。 ここ数年の私は人から紹介される際、 「お母さんの介護をされてるの」 と言われることが多い。そしてその度にモヤモヤとイラッとした気持ちが込み上げる。 それは紛れもない事実なんだけど。。、 介護は仕事ではない。 多分義務なのだと思う。 介護はお金を産まない。楽しんでもいない。 人生も後半になって、私は親の介護以外何もしていない

        主導権を取り戻す

          わがままの定義

          出来るなら人目を気にせず思うように生きていきたいと願っている。 実際にそれを実行している人にたまに遭遇するが、 その時に「わがまま」か「自由に生きてるな」とどちらかの感想に別れる。 わがままと自由の線引きが難しいなと思っている時に明確に教えてくれた人がいる。 気分に左右された思考や行動はわがままと分類され、 情熱に沿った思考や行動を信念と分類する。 なるほどーーーーーーと、私の中の曖昧が一瞬で消えた瞬間でもあった。 わがままが悪いわけではないけれど、人に嫌な気持ちは与

          書くということ

          介護を理由に丸2年以上働かない時間は半径50㎝ぐらいの世界だった。 そこから飛び出してパートと言う初めての経験からリスタート。 4時間を外の世界に飛び出した。 思った以上に退化していた仕事のスキル。 記憶力や対応力、判断力、全てがWindows95ぐらいだ。情報処理が遅いのを通り越して固まるほど。 幸い真面目な気質なのでコツコツとこなすうちにシナプスが伸びてくれたのか、先読みして予測行動までできるようになり、できることが増えると仕事と言うものは楽しくなり、こなす量が増え、

          悩みの正体

          ふと悩みの正体を見たような気がした。 友人の子供に子供ができた。つまり孫である。 息子に彼女が出来た。 良い学校に進学した、、などなど。 未婚で子供もいない私は話題にしないであろう内容だ。 あぁ・・・・・ 健康に生まれてきたのになぁ。 そんなブサイクに生まれついたわけでもないのになぁ。 どうして私は独りなんだろう。 と、考えるような考えような、どっちにしても答えのない問いを自分に投げかけている自分を見ていた。 つまりは人と比べた時に、無意識に劣としてランク付けされて

          記憶の味

          以前にカルディーで買った「葡萄山椒のクリームチーズ」がたまらなく美味しくて、ちょくちょく通っては探していたがなかなか見つからない中、 こないだついに発見! もちろん即買いして、冷やしてある白ワインと一緒に食べることを 考えるだけでよだれが出そうだった。 確か以前に食べた時はクラッカーではなく、パンの上にのせて食べたよな、、、 と、記憶をたどりそれっぽいパンも購入した。 自宅に到着し軽く晩御飯を済ませ、恋焦がれた葡萄山椒のクリームチーズをオープン。 白ワインの冷え具合も最高。

          青春は密だ

          さてコロナ発祥今日で1週間。 この1週間はひたすらに寝てばかりで、暑さも加わりすっかりと脳までとろけてしまったようだ。 何かにつけてぼんやりと、かすみがかかった中で、ふとした1フレーズが目に留まった。 「青春とは密だ」 どこかの高校野球の監督が行ったようだ。 昨日で高校野球は終わったのでとするといったのは優勝校の監督だろうか? 記事の全文を読んでいないので実際の真意はわからない。 だけどその1フレーズに大いに思考が広がった。 確かに青春とカテゴリーされる時代、常に密だった

          棘が抜けてわかったこと

          私は割と物事をはっきりと言うほうだと自覚がある。 30代後半のころ、年上の女性に 「あなたがはっきりとものを言うところは長所だけど、短所でもあるからものの言い方には気をつけなさい。」と言われたことがあり、それは棘のようにずっと心に刺さったままだった。 真面目な気質のせいかなのか自我が強いのか、キツめ言い方になることがある。言ってからハッとして反省することを何度経験したことか。それは棘が刺さってから感じるようになった。 棘を棘のままにして幾年か経過し、特別に自分の性格が変わ

          棘が抜けてわかったこと

          足るを知る

          「足る知る」その言葉を知ったのはヨガに通っている時だった。 足りないものに目を向けるのでなく、今ある足りているものに意識を向け感謝していこう。 確かそんな風に話をされているのを記憶している。 足るを知る そんな言葉を某ドラマで久しぶりに耳にした。 その時のドラマの台詞で足るを知るの解釈を話していた。 「自分が本当に何を求めるのかそれを知らなければ、今の自分で十分だと、足るを知ることは難しいんじゃないか?」 そう。本当にそうだ。 外側に展開する景色ばかりに気を取られていると

          いつか来る介護の後始末

          毎日が介護中心の日々。 優しい気持ちで対応できる時間はわずかで、母と対面している時は常にイライラし、語調は強く命令調となってしまう。 1人になったときは猛烈に反省感がこみ上げる。 なぜもっと優しく対応できないのか? 何にそんなにイラつくのか。 いつか母の命が尽きる時、私は今の状況を思い出しきっと後悔するのではないかと予感がする。 介護に埋没した私の時間。 いつか母の命が尽き、介護が不要となった時、私に何が残るのだろう? ぽかんと空いた時間。 社会から切り離され、錆びた私に

          いつか来る介護の後始末

          トップガンマーベリックを観た

          やっと観れたトップガン。 絶対4Dで観るのが良い!と、言われてはいたがいつまで経っても常に満員で予約不可なのでIMAXで観ることにした。これだって通常より500円高いし、良いはず。 結果、IMAXで大興奮❤️ もうこれからは高くたってIMAXで観ようって決意したくらいよ。 内容はもう予想通り、評判通り。文句なしに面白い!!もう飛行シーンなんて、観てる間自分の身体はなぜか右に傾いてた。笑笑 エリートパイロットのゴリゴリマッチョで、ガムを咬みながらの自信満々で不敵な笑みはアメ

          トップガンマーベリックを観た

          動き出した時間

          介護が始まった、コロナが始まった、理由は様々なれど仕事も離れ自宅ステイの日々から約2年半。私は止まったままだった。 ノマド生活ってやつ? どこにいても仕事ができる生活に憧れはしても実際にそんな器用ではない私は収入面でここ数年来で一番の貧乏的危機感を募らせたところ、知人から声がかかり週2回ほど働くことになった。 宇宙よありがとう…。泣 また別の知人から声がかかり、脱毛店でも始まった。 5月から2つのバイトを、6月からなんと!3つのバイトを掛け持ちするという働きだして初めての

          ほんの少しほろ苦い出来事

          とてもお世話になり、多くの事を教えてくれ、面白い世界と、常に進む道を示してくれていた友人が私にはいた。私にはない多くの才能に、憧れと悔しさを手荷物にしながら、昼からよく一緒に呑んだ。 それが理由もわからぬまま突然に連絡が途絶えぱたりと会うことがなくなって1年。もう会うことがないかもなぁと思っていた友人と偶然に再開した。 「おぉーー!!!」 「えーーー!!!」 お互いに奇声だけで久しぶり!もなく、普通に話しだしていて笑けた。 その後、彼は合流した知人らと仕事の話を始めたので

          ほんの少しほろ苦い出来事

          どんな感情もOK!

          友人でダンサーのemiが単独公演を開催した。 その舞と脚本には「自死をなくしたい」そんな思いが込められていて、「今感じているそれぞれの感情がどんなものでもいいんんだよ!」と、願いのこもったソウルフルなものだった。 どんな感情でもOK。 感情は簡単に言えば喜怒哀楽。常に喜びや楽しい感情が満タンであればいいが、基本的にネガティブ傾向な私の場合は、ネガティブの沼に沈んでいる…というか浸かっている時が多いような気がする。 ただ、emiの提唱する「どんな感情もOK」というワードはネ

          どんな感情もOK!