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商店街の活性化から「行政の限界」を知る

商店街に買い物行く人はどのくらいいますか?」
とある講演会。聞いている中学生の手はほとんど上がりませんでした。

ラゾーナとかインターネットで買い物しています。時々お母さんと商店街に行きます」と。
大人でも確かにそうですよね。

改めて商店街の活性化。
なぜ行政だけでは変えられないのかという点です。

商店街ってそもそも

良く耳にする商店街。その定義ですが、経産省の商業統計調査では

概ね一つの商店街を一つの商業集積地区とする。一つの商店街とは、小売店、飲食店及びサービス業が近接して30店舗以上あるものをいう。

といいつつ、はっきりした定義はありません
(ショッピングセンターや百貨店は商業集積地区と定義されます。)

ある程度お店が集まっていれば、自分たちで「商店街です」といえば商店街を名乗れるのです。(川崎市でも定義はないです。)

とはいえ、商店街は大きく2つに分けられます。
①法人の商店街(〜振興組合、〜協同組合)
②任意で結成した商店街(法人格を解散したもの含む)

明るい街路灯、アーケード(屋根)、モール(舗装された道路)など、
住宅街にはない設備があるのは、商店街だからです。

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これらは商店街に加盟したお店が、お金を出し合って維持しています。そして税金でも支援されてます。

法人格のある商店街は、こうした「財産」を持っていることが多いです。
(任意で持っていることもあります。)

商店街は細かく分かれていて、街路灯の種類が変わると別の商店街。
会長や会計もすべて別。別の会社と捉えて良いと思います。街路灯見ながら歩くと面白いです。

ちなみに川崎市は、令和元年度で法人と任意含めて203商店街
平成25年度は234あったようですが、7年で31減っているのは、
閉店や住宅化でお店が減って、商店街が解散したから
(お店が全て消滅するわけではありません。)

地方よりは恵まれていますが、川崎市でも駅から離れたエリアや、幹線道路に面した商店街は苦戦を強いられています。

商店街の歴史をさらっと辿る

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今の商店街の多くは戦後から形成されてきました。当時は小さなお店の集合体で、肉・魚・野菜の生鮮三品など、毎日の買い周りが通常でした。

1947年〜1955年、百貨店が増えて商店街と競合
1960年以降、自動車が主流に。スーパーも進出
1990年以降は、郊外に大型商業施設、ネット通販が台頭

常に競争に晒されてきた商店街の歴史。
いつしかお店同士の繋がりは薄くなり、
消費者もネットで買うか、スーパーなど1箇所に行けばすべて手に入る。買い周りしなくなりました。

この時代背景には、まちづくり3法(都市計画法、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法)が大きく関わっています。

行政主導の商店街支援

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もともと経済活動の原点、地域のコミュニティとして存在していた商店街。
いつしか強力な競合相手が現れたことで、商店街を守るべく、補助金で支援する動きが生まれます。

補助金で、先程のアーケード、モールなどハード整備のほか、
「夏祭り」などイベントに対する補助金も豊富になっていきました。
以前触れた、空き店舗に出店したら改装費・家賃が支給される補助も、
誰もが商店街を良くしようと、補助金を交付してきました。

また、地方がつくる「計画」を国に認定してもらうと、より高額で補助金が交付されるというメニューもあったり。過去、自治体の推薦状的なものがあれば交付を受けられる国のハード整備の「まちづくり補助金」では、1億円以上交付されたりも。。

すべて無駄であったのかといえば言い過ぎかもしれませんが、
行政が計画を立てて、活性化させようとした施策はほとんど失敗していることがこちらに示されています。

東京都であっても、衰退事例はあります。
これは浅草近くにある「いろは会商店街」
巨大なアーケード街で、昼間でもすごい独特の空気が流れています。
立派なアーケードがありましたが、老朽化して維持できず、「撤去するための補助金を使う」という事態になってしまいました。

しつこいようですが、補助金は「絶対使うな」ではありませんが、とにかく依存性が高いです。

例えば空き店舗にお店を構え、家賃20万のうち半分、10万円補助してもらうとします。
商売の営業利益が5%とすると、本来は月200万円の売上が必要な分をあらかじめ支給してもらうことになる。年間2,400万円の売上がなくても成り立つ経営となっていまうわけで、商売を促進する性格ではない。

補助金を受けたから、「さらに5,000万円を売り上げる!」といった、強い心がなければ、十分注意が必要です。成長社会なら、儲かるのかもせれませんが…

行政に限界があることを知る

以前に触れたリノベーションまちづくり
確実にまちを変えたことが証明されています。

パイオニアである北九州市は
民間主導で、空き店舗をなくし、雇用を生み出しました。

ここまでの成果、行政には出せていません。
この民間主導のまちづくりには地域の課題を解決するため、
あらゆる分野のキーマンが関わっています

不動産業、建築士、ファイナンス、デザイナー、ランドスケープといった
各種専門家。そして、この専門家を繋ぐ「家守」と呼ばれる人。

これだけ厳選されたチームができて、初めてまちの課題に立ち向かえます。

商店街の衰退は、もっと構造的に深い問題です。
・店主の高齢化・後継者不足
・家族経営から個人経営に縮小
・シャッター店舗のまま住居にしてる
・マンションへ建て替えてお店が歯抜けに
・まち全体の景観がちぐはぐに
・消費者の行動圏が広くなり地元で買い物しない
などなど、衰退とはまち全体に及ぶもの。

民間でもこんなチームが必要なのに、行政の商業部署が「商業者を支援する」だけで、まちを変えることには限界があります。

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行政の組織をよりフラットに

複雑な地域課題に対して、行政も新しい体制を作っていなければいけないタイミングです。

実績ある自治体(北九州市、紫波町、大東市など)は、民間がスピーディーに、全力を出せる環境を行政がしっかり整えています。

①公民が目指す方向性を示す制度(小倉家守構想公民連携に関する条例
②民間をサポートするためのチーム(公民連携室公民連携推進室

地域課題に対して、条例や計画で大きな枠をつくり、
組織を横断してワンストップで動けるための組織をつくれるか。
が問われてくる。そんなチームを私はプライベートで作っていこうと思っています。

求められる商店街は

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色んな意見はあると思いますが見てきた商店街のなかで、活気を感じるのは

小さな坪面積で建物や土地が分かれ、不動産マネジメントができている
②メイン通りでなく路地裏にも良いお店が出てる
③業種問わず地域の若手同士が繋がっている

すると「このエリアなんだか面白い」と歩くだけでも感じます。
そこには地域を想う不動産オーナーさんがいらっしゃいます。
また区画が小さいとチェーン店が出店しづらいという制限が、逆にメリットにもなります。

例えば、横浜市の六角橋商店街
5〜10坪の個性的なお店がひしめき合っています。闇市とかやってます笑
出店者がスモールスタートできるよう、商店街が不動産をマネジメントしています。

さらに世田谷区の松陰神社通り商店街
駅を出ると、築50年のアパートをリノベした松蔭PLATが迎えてくれます。
こちらも小さくて個性的なお店が、徒歩圏内に広がります。この街並みができるにあたり、なんと行政は介入していないそう。素晴らしいです。

そして、川崎市の武蔵新城駅周辺の商店街
9つの商店街が集まるエリアです。こちらも小さな面積に出店が多いですが、特筆すべきは地域の繋がり
Facebookグループの「ふらっと武蔵新城
地域メディアの「新城マガジン」「ふらっとさんが行く!
1000円で飲み歩く「1000ベロ」など。すべて地域の皆さんが作り上げたもの

まとめ 

商店街という枠は昔の定義で、今は「活気のある徒歩圏内エリア」と表現すべきかもしれません。
もともと戦後はウォーカブルでハートウォーミングだった商店街。
そんなまち並みが、今見直されているんだと思います。

回遊性があって時間を過ごせるまちは、お金もしっかり流れます。
私の感覚ですが、徒歩圏に「行きたいお店(会いたい店主)」が3店舗以上あるエリアは、確実に活気を感じます。

行きつけのお店は、新しい発見を教えてくれて、日々が楽しくなります。
きっとそんなところから、まちづくりはスタートしています

改めてこの気づきを与えてくれたのは「まちづくりデッドライン」です
本日もお付き合い、ありがとうございました!


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