批判は悪口 批評は搦手

批判の全てが悪口ではないが、それは少数で世間的には悪口と認定されている気がする。

日本では他人の考えと異なる意見をいうと、失礼に当たるように取られる。

意見を交換し止揚される弁証法的な議論は存在する余地がなくなる。
大抵は「持論」を展開する。賛否が寄せられる。以上終了。が定型になる。
意見と意見のぶつかり合いは歓迎されない。意見はそれぞれなので各意見は尊重されなければならない。

そのために、言いたいことは決まっているので、予想外の視点からの意見は新たな視座を与えてくれる。これが議論の大切な果実なのに。
人の意見は賛成か反対かを表明するだけのモノになる。

議論は「暴力」的なヤバさを内包した避けたいモノで熟議なんてさらに面倒で諍いの元になる。

批判は反論になる前に潰されるか、誰にも読まれない唯の文字。

そうは言っても、書きたい欲望はある。
喧嘩、悪口、礼を失するなど避けたいことはある。

ならば、物故者の作品を批評という形式できないだろうか。批評は搦手とは小林秀雄が書いていたこと。