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ゲーム開発は、アドベンチャーゲームのようなもの

今回は「ゲーム開発は、アドベンチャーゲームのようなもの」ということについて書いてみようと思います。

最近は本業のゲームを創る仕事(ビールをSNSに上げるやつじゃない方w)が忙しくなり、在宅から出勤になったこともあって、急激に自分の時間が無くなりnoteを更新できずでした。あまりに時間がなさすぎるので、もはや昼休みや、残業して家に帰ってから書くしかない状況で書いております(笑)

書くのは結構大変ですが、それ程までにどうでもいいと思えるようなnoteの記事も「定期的に人目につくものをアウトプットをする」ということが、クリエイターにとってとても大事なことだと思っています。

※BGMイメージ


■ゲーム開発はアドベンチャーゲーム

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ゲームを開発していて日々思うのは
「ゲーム開発自体もゲームのようなものだ」
ということです。

特に「アドベンチャーゲーム」のようなものという感覚が強いです。
「弟切草」だったり、「街」や「428」だったり、「シュタインズ・ゲート」や「Detroit」だったりをやってる感覚です。

実際のアドベンチャーゲームとは違い、一切やり直すことはできないんですが、何をやるにも 「選択」「分岐」がつきものなのがゲーム開発です。


■目の前の一つ一つが分岐のある選択肢

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ゲーム開発が「選択」「分岐」の連続なのは、一番最初の企画段階からであり、誰に向けてどういうものをつくるのか?というところから始まります。

あくまで一例ですが、「ティーン向けのゲーム」という方向性を選択した場合、他の層への訴求力を失います。また、新規ユーザーの獲得を主眼とした場合、古参のユーザーへの訴求力を失いますし、革新的なRPGを創る場合は、内容を理解するのが難しいゲームを創ることになります。

このようにゲームを創りの一歩目から、ゲーム開発はアドベンチャーゲームのように「選択」「分岐」は始まります。

これは、細かい仕様でも同じようなことが言えます。

例えば人間のリアルな動きを表現するために「強攻撃」のようなもので剣を思い切り振り切った後にフォローのモーションを長めに設定すると、ちょっともっさりしたり、次の攻撃のレスポンスが悪くなるのでバトルのテンポ自体が少し遅めになります。(逆に攻撃のレスポンスを上げるために、剣を振り切った後にすぐに別の攻撃を受け付けるとリアリティーを失い、見た目がショボいアクションに見えたります)

このようにゲーム開発は、1歩目もミクロな部分も膨大な「選択」と「分岐」を積み重ねた末のものになります。


ゲーム開発者は、個々の担当パートにおいて毎日このような膨大な仕様や実装の「選択」「分岐」を行っています。
大規模なゲーム開発だと、メインのスタッフが、100~300人以上とかで開発するんですが、大中小ある方針や方向性に従い、個々が「選択」を行い、それによる「分岐」が発生します。数百人で1個の結末に至るアドベンチャーゲームをやってる感じです。

文字で書くと無理ゲー感がありますね(笑)

思い出すと自分自身、今まで大小様々なな規模のゲームを作ってきましたが、どんなゲームでも毎回完成すると

「完成したの奇跡かも!」
「よく完成したなー」

と思っています(笑)

■完成したものが唯一のエンディング

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ゲーム開発もまた、ゲームをプレイするのと同様に

達成したい目標(クリアするとかコンプする)
予算や時間などに払うコスト(プレイ時間や払うお金)

があります。

最初に定めたゲームクリアするという目標は達成を目指すとして、サブルートをどれくらいプレイするのか?完全にコンプするまでプレイして次のゲームはずっとやらないでいるのか?など、プレイにかけてOKなコストによって変わるように、ゲーム開発にも予算や時間の制限があります。
そして、その制限はこれだけ難しい取り組みをしているにも関わらず、ギリギリ達成できるくらいのものしか与えられません。(ビジネスなので当たり前なんですが)

このように開発することができるものにはそもそも制限があるし、「選択」「分岐」によって、ゲームは創りながら形を変えるため、計画は見直す必要が必ずでるので無数の「選択」と「分岐」の果てに完成したゲームには

・削除されたシナリオ
・入らなかったボイス
・削除されたシーン
・丸々削除されたMAP
・無くなった仕様

……などなどが山のようにあるのが常です。

ただ、どんなクソゲーでも開発者はこの限られた制限の中でベストを尽くしています。(そうじゃない場合は、別のところに原因が必ずあります)
なので、発売されているものが開発チームの力の推移であり、力を尽くした「唯一のエンディング」だと思ってもらえればと思います。

創り終わると「こうするほうが良かったな」「あのネタもよかったんだよなあ」とかいうことは正直ありますが……それでももう一度同じ時間と予算と同じ仲間で作ったとしたら、おそらく同じ「選択」と「分岐」を選ぶはずだといつも思います。


■選択には全て意味がある

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ここまで書いてきたように

ゲームに「選択」と「分岐」がつきものなように、ゲームを創ること自体もゲームのようなものであり「選択」と「分岐」がつきものなのです。

全ての選択肢には分岐があり
「選んだ理由」「選ばれなかった理由」
があります。

発売されたゲームの評価は、自由にしてもらって構わないと思いますが、皆さんが手にとってくれたゲームが開発チームのベストを尽くした結果であり、壮大な「選択」「分岐」の果てに生み出された「唯一のグッドエンディング」であるということを覚えてもらえればと思います。
(ボツになった情報を知りたい!という気持ちはわかりますがw)

この「選択」「分岐」は、ゲームだけではないと思います。

他の仕事でも同じですし、今、自分が生きている人生も膨大な「選択」と「分岐」の果ての今なのだと思います。


■最後に……


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長々と書いておいてなんですが、時間と予算があれば無限にゲームをよくしたいのが開発者であり、機会があれば直したいと思うのも開発者でもあります(笑)

最近は、運営していくタイプのゲーム以外にも、アップデートやDLCなど発売後も開発する機会が多くなりました。その度に「もっとゲームを良くすることができる」「ユーザーにもっと良い体験を届けたい」という気持ちが湧く機会が増えたと思います。

個人的には、飽きっぽいので1個のゲームを長くつくるのはあまり好きではないんですが(笑)、それでも自分が関わったタイトルと、ユーザーを大切しながら「新しいエンディング」を作っていくのはとても幸せなことだと感じています。

また最近は、SNS等でユーザーの方々の意見やプレイ体験を知ることができることが多く、ゲームを開発できる幸せと、それをプレイして頂ける幸せに感謝しております。

また、ゲーム開発という仕事を選んだ自分の人生の「選択」と「分岐」も、なかなかの「良いルート」なんじゃないかなと思っております。
まだまだエンディングには遠いので、これからも「選択」と「分岐」を積み重ねて世界中のプレイヤーにとって、もっともっと素敵な物語やゲームという「グッドエンディング」を作っていこうと思います!

最後まで読んで頂きありがとうございました。

よろしければサポートを宜しくお願いします。頂きましたサポートは今後の創作活動に使わさせていただきます。決してビール代にはしませんのでご安心ください(笑)