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誰も知らないこだわり。僕も知らないこだわり。

【日日是考日 2020/10/19 #007

「豊潤な空虚」
扉を開くと、そこは一寸先も眺めいれぬ闇、何の物体もなく、ひたすら無が拡がる空間。ただ、そこには得も言われぬ豊かな時間が流れている。
それは、例えば坐禅における無心の境地のようで、無我のスッとした爽快さがあるのである。

こんなイメージをこの言葉は思わせる。
また、「ホウジュン」という音は、より一般的な「芳醇」をまず想起させ、馥郁な香りを漂わせる。

これは「東京タワー 豊潤な空虚」という先日アップしたエッセイのタイトルに使った言葉だ。
改めて客観的に見てみると、我ながらなかなかに良いフレーズである。

と、ここまで言うと流石に自分勝手に誇張しすぎた感があるが、
小説家などは、このように一つ一つの言葉にこだわっている人もあろうかと考えると、甚だ感服する。

だが、それにしても、一つの言葉に対して、
ここまで機微に感じ取ろうという人も多くなかろう。

小説という固定された対象に対して、
読者が作家のある言葉に対するこだわりを直接覗き見ることなど不可能である。
まして、稀少な機微に鋭く反応しようと心持ちて読まなければ、尚更不可能である。
さらに言えば、作家自身も全体のごく一部のことなど、仔細に記憶に留めるのも難しかろう。

実際、偶然の産物である「豊潤な空虚」に関しても、
今回このように見直すこともなければ、そこから想起されるものを、誰も知らないし、僕も知らなかっただろう。

そう思うと、これまで読んできた小説に対しても、
まったく作家のこだわった豊かな言葉達を見過ごしてきたのではないか、もっと深い味わいがあったのではないか、という気がしてくる。

文章のメタに存在する筆者のこだわりを想って、作品に向かいたいと思ったのであった。

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