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晴れてるのにくもりを引っ張り出して無理やり雨を降らせてみたら、そのあと心は晴れた。と思春期の自分に教えてやりたい話。

「自己肯定感」ってなんか嫌だ。

バリ主観だが、バリキライだ。(バリって言いたい)

しっくりこない、ムカつく。(そんなに?)


日本で最も権威のある検索フォーム「Wikipedia」によると。(権威とは?)

自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。


なにがいやなのか?

「おい、自己肯定感を高めようぜ!」

「お前って自己肯定感低いよな~」

って言い出しそうでいやだ(誰にだ?)


まず「自らの価値や存在意義を肯定できる」って何や。

「自らの価値」って

そんなん人生かけて見つけるような壮大なもんである。(バリ)


「自らの存在意義を肯定できる」って

かの文豪も、みな肯定できなかったじゃないか。


わかった。「自己肯定感=正義」みたいなノリが悪い。


天気のように

自己肯定感が「高いか・低いか」の二択なのも、良くない。

心は、晴れもするし、雨も降る。

空はせっかく晴れているのに、前の日にできた水たまりを踏んで、しょぼんとしてしまうこともある。

大雨過ぎて「もはや濡れるの気にしやんわ」って楽しくなることだってある。


「自分の存在意義や価値」が肯定できなさすぎて

爆発する力もある。(せやろがい)


銃口のように

自己肯定感は「人に向けては」いけない。

そーーもそも「自己」なんだから。「自己」にしか分からないだろ。

他人が、口を挟んでいいもんじゃない。


そして、銃口のように「自分に向けて」もダメだ。

「自らの価値や存在意義」なんて考えなくていいだろ。

そんなの必要ない。

なんで生まれたのか?なんのために存在するのか?

考えなくていい。

「なぜ生まれたのか~なぜ宇宙ができたのか?」まで全て知りたいのか?

たった一度の人生、100年もない時間で、

朝から晩まで考えてる訳でもないくせいに、

そんなこと、分かるか?

それに「知ってどうする」



べつに自己を肯定しようが否定しようがどっちだっていい。

すきにしたらいい。

大事じゃない。




と思う。