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Ⅲ 装いの悦楽

#6

1 衣から装いへ

 七五三の季節になると、近くの神社で可愛い子供たちが目いっぱい着飾って嬉々としている姿をみるのはいいものです。若いパパもママもそしてお爺ちゃんやお婆ちゃんもそれなりにお洒落をして幸せそうです。どんな少女でもいい衣装を着けた時はウキウキして幸せがこぼれ落ちそうな表情をしているし、男の子もなにか誇らしげで「オレちゃんは男だぞ」とでもいいたげな高揚した気分が伝わってきます。いつもは実用的な目立たない姿でいる大人たちも、髪型を整え化粧もして礼服を着ると別人のようにサマになって、ご本人たちもおのずからご機嫌よろしく笑顔になるというものです。

 人間が衣装によってどんなに変わるかは、映画やドラマをみていれば一目瞭然ですね。同じ俳優が役柄によってまた場面によってボロをまとえば浪人風情にもなるし、袈裟をまとえば偉い高僧にもみえる。田舎の泥臭いネイチャンも衣装次第で都会的な知的な女子大生にもなり颯爽としたビジネスウーマンにもみえるのです。
 衣装は時代によってもどんどん変りますね。戦後まもないころは貧しくて食べるのがやっとであり、衣装などにかまっていられない時期がありました。でも、すこし余裕がでてくると女たちはまず装いに気が向いてお洒落をしたくなるのです。

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 さて、その戦後の服飾界の歩みをちょっとてみたいのですが、それには森英恵さんのヒストリアを拝見するのが早道かと思います。以下は平凡社の「別冊 太陽」(森英恵特集 2011.12)からの抄録です。
 英恵さんは島根県の六日市町の生まれです。開業医だったお父上が大変なお洒落紳士で、しばしば東京に出かけて妻の反物や娘たちの洋服を買ってきてくれたそうです。そんな環境が英恵さんのお洒落感覚を目覚めさせたに違いありません。
 そして東京女子大学へ進むのですが、戦争が激しくなり校舎は勤労奉仕工場になってしまうのです。英恵さんはそんな状況下、自らミシンを踏み編み物をし、お洒落に精を出す娘へ成長していくのです。戦後、結婚して子育てをすることになるのですが、その生活が退屈でたまらず洋裁を習うためにドレスメーカー女学院に通います。そして自分の服や子供たちの服をつくるようになり友人知人の服へも展開していくのです。

 そして1951年、装いに理解のあった夫の協力を得て新宿に小さな洋裁店を開きます。映画館や喫茶店のある界隈で貧しい時代ながらもファッションや美を求める人が集まってくるような場所だったのです。ファッション雑誌の先駆けとなった「装苑」の編集長今井田勳をはじめ、映画関係者、舞台演出家、俳優など服飾に関心のある人々であり、英恵さんのデザインはショーウインドーに飾られて注目を浴びることになります。
 ある時、映画監督の吉村公三郎の目にとまり女優の衣装を依頼されます。それが切っ掛けで映画の全盛期だっただけに次々と注文が舞い込み、それは舞台俳優にもひろがっていきます。58年には「布の魔術師」といわれたピエール・カルダンが来日し本場のファッションを披露、それに刺激をうけた英恵さんはヨーロッパやアメリカに視察に出かけます。そこでプレタポルテつまり高級既製服に魅せられその分野に進出することを決意します。そして67年にはJALのスチュワデスの制服をデザインし一躍有名になるのです。
 こうして、「装苑」の創刊にもかかわった事業家でもある夫森賢との二人三脚で、ハナエ・モリは事業を展開し、国内だけでなく世界のファッション界へも乗り出すのです。
 「装苑」からは新進デザイナー、コシノジュンコ、高田賢三、山本寛斎、山本燿司らが次々と巣立ち、服飾デザインのすそ野を広げていくことになるのです。

2 豪華客船上の体験「装いの饗宴」

 さて、私は田舎育ちでしたし貧乏学生でしたから服装やお洒落には全く無関心でした。いつごろからそれに目覚め装いの楽しさを実感したのかを想いだしてみると、40歳代に海外への旅を重ねたことが刺激になったようです。各地の空港やホテル、お洒落な街、パリ、ウイーン、フィレンツェ、ヴェニスなどでの体験が影響していると思います。それは旅人の目も楽しませてくれ、自分も少しは装いに気をつけカッコよくなりたいと思ったからです。
 そして、それを決定づけたのは1996年の豪華客船「飛鳥」の世界一周クルーズでした。私は、明治初年に日本人が行った世界一周旅行「岩倉使節団の旅」の研究をしており、その話をするため乗船の機会を得たのです。私はそこで、400人を超える乗客たちの朝、昼、夜の服装、お洒落ぶりをつぶさに目にすることになりました。男性は七十歳代、女性は六十歳代が主でしたが若い世代も少なからずいて、お金、時間,健康に恵まれた最も豊かな紳士淑女たちの姿をカジュアル、スポ―ティ、セミフォーマル、フォーマルなどTPOに合わせた様々な装いを観察することができたからです。それはまさに連日連夜続く「装いの饗宴」でもありました。

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 そのなかで特に印象に残る方がお二人いました。一人は斎藤茂太さん、斎藤病院の院長で随筆家でも著名な方ですね。もう一人は知る人ぞ知る女流画家の鎌苅登代子さん。斎藤さんは堂々たる風貌のお洒落が身についている人、パーティでのタキシードからデッキでのスポーツウエアまで、どの場面でもそれにふさわしいカッコよさでした。それからマダムトヨコ、船場の資産家に生まれ谷﨑潤一郎の「四姉妹」を彷彿とさせる、おおらかで品のよいお洒落さんでありました。
 その様子は後日送ってくれた「旅の画帳」のエッセイによく表れているので、その一部を紹介させていただきます。自ら「旅が好き、オシャレが好き」という彼女は、寄港地ごとに現地の衣装を求めそれでお洒落を楽しんでいるのです。
「旅行の楽しみのなかにもう一つ、オシャレがある。訪れた場所にふさわしいと思うオシャレをする。例えばインドはサリー、アルゼンチンはちょっと昔のジバンシーがよく似合うし、オリエント・エキスプレスやクルーズ船のフォーマル・デイナーはむろん、ウイーンのオペラ座には品のよいC・デイオールのソワレが一番」といった調子です。
 その装いを写真に撮って画帳に収めてあり建築や風景ともマッチして素敵なのです。
「メキシコやカリブの海では陽気で美しい色のブラウスで楽しみたいし、アフリカにはサファリ・ファッションが似合うし、エジプトやオマーン、アラビアなど暑い国には白くて風通しがよく、宗教にも失礼のないものが最適」といった具合です。
 私は、そこに極上の「お洒落の悦楽」ともいうべき境地を見た思いがしたのです。

3 美しい街、美しい女たち、それは幸せの風景

 この「飛鳥」船上の風景は、ごく一部の恵まれた階級の人しか享受できない・・・という声が聞こえます。でも、私はそうではないと思うのです。現代の日本は、実にお洒落なものに満ちあふれています。ブランドや高価なものは必要ではありません。安くてもいいものがたくさんある。お洒落はセンスの有無にあり、それは養えるもの、自分に似合うものを選び、小ものも含めいかに組み合わせることによって楽しむかだと思うからです。
 私はタウンウオッチングと称して銀座や青山界隈をブラブラ歩きます。デパートにも立ち寄って時には上階から一階までざっと見てまわります。そこで感じるのは、女性の服飾、ファッションがいかに豊富でヴァラエティに富んでいるかであり、そのことにあらためて驚くのです。それはヨーロっパ、アメリカ、アジア、イスラム、アフリカなど各地のものがあり、服だけでなく、靴、ベルト、バッグ、帽子、ネッカチーフ、アクセサリーなどいろいろのものがありますね。
 食のところでみたように、世界中の服飾品が、それも手ごろな値段で買えるのです。コロナ以前、中国をはじめアジアから凄い数の人が買い物にやってきた理由もよくわかります。秋葉原の電子製品だけでなく、日本のお店の服飾品の魅力にも惹かれたからだと私は思います。

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 そして街を歩けば、日本の女性が実に美しくなったことに気づきます。はじめは若い世代だけだったのが、だんだん高年齢層にまで広がり、大人のお洒落も目立つようになりました。そして遅ればせながら男もやっとお洒落になってきましたね。
 女性が美しければ男はうれしいのです。そして男たちはその女性たちとお茶したり食事したりしたいのです。ところが野暮でダサいと敬遠され態よく断られてしまいます。ですから男たちも少しはお洒落をするようになってきたのです。いやいや、男だってもともとはお洒落したいのです。レディ―ファーストでいままでは控えていたのではないですか。日本の男性は本来なかなかお洒落なのです。いなせとか伊達男という言葉もちゃんとあったし、ファッションデザイナーも男性の方が多いじゃないですか。

 それから街も美しくなりましたね。お洒落な界隈があちこちに出来てきました。とくに美術館、コンサートホール、お洒落なCafé、レストランが多くなった。そんな場所には素敵な装いの人が多く、絵になる風景、ちょっと写真に撮っておきたい光景が増えました。これは日本の社会が成熟してきた証拠です。ですからバカの一つ覚えみたいにGDPにばかりこだわってないで、GBF(beauty+fashion)という指標をつくって、それではかれば日本はこの20~30年でずいぶん成長したのじゃないでしょうか。

4 お洒落の美学;心意気・セクシー・いさぎよさ

 さて、それにしても日本の服飾界はすっかり横文字になりカタカナであふれていますね。。それだけ西洋風になったことの証拠であり、和風のきものはどこへいってしまったのかとの思うくらいです。でも、和の装い・きものの伝統も連綿と継続されています。日本庭園を舞台にしたお茶会の風景などみるときもの姿の日本女性がいかに美しいかに改めて感じいります。日本は世界中のものを取り込みながら日本の伝統を捨ててはいません、歌舞伎や能の盛況ぶりも頼もしいことであり、そこがまた日本の素晴らしいところだと思います。

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 では、その日本にお洒落哲学のようなものがあるのか、といえば、九鬼周造の「いきの構造」を想起します。「いき」のコアにあるものは何か、「媚態・心意気・諦」の三つだと九鬼はいいます。字だけ見てもピントきませんね。でも、現代風に翻訳すれば立派に今でも通じる美学だと思います。
 一の「媚態」は、いろけ、セクシー、洒落っ気です。異性を惹きつける魅力でしょうね。が、それは異性間に限らない、男が男に惚れ、女が女にほれる、ホモやレズのことではありませんよ、人間が人間に惚れる、それほどの魅力が「色気」の本質ではいかと思うのです。
 二の「心意気」、これは今でもそのまま通じるいい言葉ですね。気迫、気概、気合、気がはいっているかどうかです。
 三の「諦」、これが一番わかりにくい、仏教の無常観、死生観から来ているのでしょう。思い切りのよさ、覚悟、潔さ、ではないかと私は思います。
 これらはお洒落だけのことに限りませんね。生き方そのものです。いくら外面を服飾で覆っても人間そのものに魅力がなくては、服だけ、お洒落だけが歩いていることになってしまう。それこそ野暮、無粋というものです。粗野が好きな人、武骨な人、泥んこが好きな人もいるでしょう。その人にはそれなりのお洒落があるのです。要は、洒落っ気、ではないでしょうか。それは武士道の精神「士魂」にもつながっていて幕末の志士の颯爽たる生き方にも通じています。侘び茶の祖というべき村田珠光は、「心のうちよりきれい好き」といっています。真に求められるものは「心のお洒落」ではないでしょうか。

予告

次号は、仕事について、「仕事は生活の背骨である」他。
次々号は家族・仲間について、「子育ては天職である」他、の予定です。

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【毎週土曜朝発信】

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