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Ⅸ 愛:いのちの泉・慈しみの心

#12

1 日本;「詩歌の森・慈しみの国」

 「太古の神々や天皇の歌から始まって、日本列島は代々詩歌の森におおわれてきた。いまでも日曜日ごとに新聞には短歌や俳句が寄せられている。これもこの国ならではのこと、山野の緑は減っても、言の葉はなお茂り、さやぎつづけているのだろうか。列島住民の魂の究極のよりどころは、この詩歌の森のうちにあるのかも知れぬ。」
 これは国際的にも著名な比較文明・比較文化の碩学、芳賀徹先生の著書「詩歌の森」(中公新書)の書き出しにある文章です。
 日本には哲学がないとよくいわれますが、実は詩歌こそが日本の哲学なのではないでしょうか。大部にしてドライな“理屈の塊”のような論説ではなく、短く潤いのある“美しい詩文”にこそ、わが日本人の魂の表現があると思われれるのです。そして日々、テレビやスマホから流れ出ている詩歌も、カラオケでうたわれている詩歌もまた、日本人の心情や価値観を素直に表現しているものと考えていいのではないでしょうか。
 今回は「愛」について、詩歌の面からアプローチしてみたいと思います。

 日本人はまず「自然」を愛(めで)ました。古来「花鳥風月」とよびならわし、「雪月花」と表現しました。その代表はなんといっても「花」ですね、芳賀先生も古今歌人の紀友則の一首をまず取り上げています。

ひさかたの光のどけき春に日にしづ心なく花の散るらむ

 こんなにのどかな春の日なのに、どうしてこうもせわしなげに人は生きるのだろう、との花に寄せての嘆きでありましょう。

 次に、華やかな花見の宴について、桃山・江戸初期の作とされる「花見図屏風」を題材に「桜花爛漫の丘の上に女ばかりが五十人も六十人も集まっていっせいに風流踊りを始めている」、その「よろこびの声と歌と樂の音が大画面いっぱいにあふれている」と解説されてます。そしてその歌が当時大流行していた「隆達小歌」に違いないと次のように紹介されているのです。

誰が再び花さかん、あただ夢の間の、露の身に
みめがよければ、こころもふかし、花に匂いの、あるもことはり
此春は、花にまさりし君持ちて、青柳の糸、みだれ候
花に嵐の、ふかばふけ、君のこころの、よそへ散らずば

 いいですね。心が揺れ動いている情景、そして「花にまさる美しい君」を待ちこがれ 心が乱れるなかを、「花に嵐のふかばふけ」と言い放つ心意気が伝わってきます。

 さらに、芳賀先生は神代にまで遡り、詩人たりし神武天皇の密やかな恋歌まで、披露されています。

葦原のしけしき小屋に菅畳 いや清敷きて我が二人寝し

 あの河原の、葦の生い茂るなかに隠れた小さな家、あそこでお前と二人、匂いもいい菅のむしろをさやさやと鳴らして敷いて、愛しあったことがあったね、と当時を振りかえっている様子です。
 これを芳賀先生は「記紀神話の第一代天皇が、こんなすてきな、音も匂いも触感もある愛の歌をつくっていた・・・・秋津しま大和の国、日本は、やはりなかなか面白いいい国ではないか」と感嘆されているのです。。
 みなさんも、そう、そう!と、お思いになりませんか?


2 男こそいとありがたく、女はやわらかに

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 さて、平安の歌人は、男性と女性のあり様について、どう描いたのでありましょうか。
 温暖で雨もほどほどに草木もよく育つ東海の小島、長く続いた平和のもとで、恋の歌を交わしながら、おおらかに生きたのでしょう・・・
 清少納言は、「男こそいとありがたく あやしきここちしたるものあれ」といい、
 紫式部は、「女はやわらかに、心うくしきなんよき」といっています。
 これこそわが日本のあらまほしき生き方であり、男はおとこらしく、女はおんなしく、自然の摂理に従順に日々暮らしを営んでいたのではないでしょうか。

 ところが、室町から江戸にいたる武士中心の社会になると、男と女の関係も変わってきますね。とりわけ徳川の世になると儒教の教えが浸透し、男中心の家族制度が定着して礼儀ただしくなったものの、かなり堅苦しことにもなりました。でも、農民、職人、町人の世界はまた別で、かなり自由に暮らしをエンジョイしていたともいえそうです。
 その証しに、幕末日本を訪れた欧米人の目には、当時の日本人の暮らしぶりが次のように映っていたようです。
 英国の初代総領事だったオールコックは「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と記し、米国の初代総領事ハリスの通訳としてやってきたヒュースケンは「この質朴な習俗と飾り気のなさを私は賛美する。この国の豊さを見、いたるところ満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私は、、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終りを告げようとしており、西洋の人々が彼らに重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」と述べています。(渡辺京二「逝きし世の面影」)
 産業革命を成し遂げ世界との貿易によってすっかり豊かになった欧米人の目には、日本人の暮らしぶりは一見貧しく映ったでしょう。が、前近代の農業社会としては世界でも一番豊かで平和で陽気に生活を楽しんでいる「楽園」に見えたのです。

 その後の日本がどのような道をたどり近代化し、今日に至ったかはみなさんご承知のとおりです。西洋文明化が急速に進み、戦前は英仏風に、戦後は米国風に、都市や建築の外見もすっかり変わり、内面の思想や風俗までほとんどあちら風に染まってしまいましたね。
 でも、アジア・アフリカのように西洋列強の植民地となり言葉さえ失った国々とはちがい、日本の伝統や習慣はなお継承されました。日本は、よいとこ取りで独自の発展を遂げ、ある意味では「雑種文化のよさ」というべきか、独特の日本人好みのブレンドの味をつくり上げたともいえましょう。そして西洋的な自由や平等思想もとりいれ、男女の関係も大いに変貌をとげ、それを映して詩歌も変化しました。

 では、その中から日本人の間で共鳴を得たいくつかの詩曲をみてみましょう。
 まず、青春時代を映して・・・

「シクラメンの香り」(作詞作曲;小椋佳)

真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の君のようです
ためらいがちにかけた言葉に 驚いたようにふりむく君に
季節が頬をそめて過ぎてゆきました

薄紅色のシクラメンほど まぶしいものはない
恋するときの君のようです
木もれ陽あそび君を抱けば 淋しささえもおきざりにして
愛がいつのまにか歩き始めました

欧米の詩歌も日本語に訳されてよく歌われました・・・

ラ・ビアン・ローズ

花におとずれる 愛のそよ風は、
二人のこころを バラ色に染める
愛の歓び 胸にあふれ オオ、ラ・ビアン・ローズ

あなたの瞳は あまいバラの香りのように
私をみつめてほほえむとき、夢みごこち
胸に満ちる幸せ こころ酔わす愛の歌
あなたと二人で くらしてこそ
ラ・ビアン・ローズ

 そして「愛の微笑(メモリー)」
(作詞;たかたかし、作曲;馬飼野康二)

愛の甘いなごりに あなたはまどろむ
天使のようなその微笑みに 時は立ち止まる
窓に朝の光が やさしくゆれ動き
あなたの髪を ためらいがちに染めてゆく

美しい人生よ かぎりない喜びよ
この胸のときめきをあなたに
この世で大切なのは 愛し合うことだと
あなたはおしえてくれる

 恋するもことは自由になり、その心情を隠し立てすることなく、あけすけに歌うこともできる時代になりました。恋ほどすばらしいものはない、たとえ破れても、いかに悲しみに沈んだとしても、恋をしない人生など真に生きたことにはならない、と謳歌できることになったのです。恋の歌、愛の歌は次々と生まれ、いまや誰もが口ずさむようになりました。

3 壮年、そして次世代へ

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 そして、社会に出て荒波のなかで戦う男たち、谷村新司の「昴」や中島みゆきの「地上の星」など、そしてビジネス戦士への慈しみの歌「聖母の子守歌」も生まれました。

聖母(マドンナ)たちの子守唄 (作詞;山川啓介,作曲;大森敏之/j・スコット)

さあ、眠りなさい 疲れきった体を投げ出して
青いそのまぶたを 唇でそっと ふきましょう

この都会(まち)は 戦場だから、
男はみんな 傷を負った戦士
どうぞ 心の傷みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って 熱い胸に甘えて

恋ならばいつかは消える けれどもっと深い愛があるの
ある日あなたが 背中を向けても
いつも私はあなたを遠くで
見つめている 聖母(マドンナ)

 やがて時は過ぎて、幼子も成長し結婚するようになります。
 友を招いての披露宴、友情と次世代への贈る言葉が歌い上げられます・・・
     
乾杯(作詞作曲;長渕剛)

固い絆に想いをよせて 青春の日々
時には傷つき 時には喜び
肩をたたきあった あの日
あれからどれくらい たったのだろう
沈む夕日をいくつ数えたろう

故郷の友は今でも君の 心の中にいますか
乾杯 今 君は人生の大きな大きな舞台に立ち
遥か長い道のりを歩き始めた
君に幸せあれ!

明日の光を身体に浴びて
ふりかえらずに そのまま行けばよい

風に吹かれても雨に打たれても
信じた愛に背をむけるな

 そして、いろいろの人生が展開します。個人主義の進展は未婚者を増やし、核家族化や長寿化が多くの独り生活を生み出しました。孤独、それは現代社会の特徴の一つになりました。
 これはそんな心情をうたった「もうひとりじゃない 孤独と二人だから」です。

孤独(作詞作曲;ジョルジュ・ムスタキ)

私は孤独と 余りたびたび添い寝をしたので、
孤独を彼女と呼ぶようになってしまった
それは何か心が安らぐ 彼女は私から一歩も離れず
影のように忠実に 世界のどこでも
あちらこちらついてくる

 日本でも、いろいろの人がこの詩を自己流に訳して歌っています。。

 もっとも、孤独に関してはアルゼンチンにこんな諺があるそうです。

わたしの犬はわたしの友達
わたしの妻はわたしの敵
わたしの息子はわたしの主人 

 因みに、日本におけるペットの数はいまや犬・猫で2000万ともいわれ、子供(15歳未満)の数を大きく上回っています。英国の女流作家ジョージ・エリオットはこう述べています。「動物は本当に気もちのいい友達である。彼らはいかなる質問もしないし、いかなる批評もしない、愚痴もこぼさなければ悪口もいわない」と。
 確かに、なにかと面倒な人間さまより、ワンちゃんやニャンちゃんの方がつきあいやすく、添い寝もしてくれそうで、よほど結構なのかも知れませんね。

4 慈しみの愛

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 独り暮らしといえば、江戸末期に生きた良寛和尚は、その方の先達でもありました。裕福な家に育ちながら出家し寺の住職にもならず粗末な草庵を転々とし浪々の生活を続けます。そして清貧のなかで、自然に親しみ歌を詠み、恵まれない人々と慈悲のこころで交わりました。
 良寛はよく次のような「愛語」を使いました。道元禅師の「正法眼蔵」にある言葉ですが、それが人々の傷ついたこころを癒し生きる力を与えたのです。

 人々に接するときは、慈愛のこころをもつ、
 相手の気持ちになって応対すること。
 荒々しい言葉は使わない、穏やかに話すように。
 ご機嫌はいかがですか、とまず問いかける、
 自分のことばかり考え言いたいことをいう、それは慎むこと。
 そうすれば、相手もおのずから気持ちがほぐれ、こころを開いてくれる。
 それが相手の魂をゆりうごかすことになり、「天を廻らすほどの力」にもなる・・・

 いかに愛をもって語るか、親しく相手の身になって話すか、心に響くように言葉を伝えるか、でなくては世の中を変えることはできない、という自戒の念でもあったと思われます。
 
 これは、申すまでもなく、みなさんもご存じの宮沢賢治の詩です。
 大愚と称した良寛に通じる「愛語」だと思います。

雨にも負けず 風にも負けず(宮沢賢治)

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
野原の松の林の蔭の小さな茅葺の小屋にいて

東に病気の子どもがあれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人があれば 行って怖がらなくていいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば 行ってつまらないからやめろと言い

みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい

 終りに、キリスト教の聖歌の一つですが、人類にとって普遍的な癒しであり、まさに祈りであると思います。

アメイジング・グレイス / 素晴らしき恩寵(作詞;ジョン・ニュートン)

やさしい愛の掌で 私は今日も生きる
惑い怖れた日々は去り 私はもう迷わない

光輝く天地の 恵み与えたもうた あなた
大きなみ胸に抱かれて 私は今日も生きる

かけがえのないこの幸せ 与えたもうた あなた
慈しみ深きみこころに 感謝の言葉をささげよう

偉大なる大神(Something Great)の
慈しみ深きみこころに 感謝の言葉をささげましょう。

予告

次回は「夢」です。

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【毎週土曜朝発信】

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