メタバースの功罪

先日、宮台真司先生の講演を拝聴した。(ネタバレ含む)
テーマは
「コロナ後の世界で権威主義とメタバースに取り込まれないために」
https://www.youtube.com/watch?v=UZUXGDlj0j8

私はVRを次世代の居住空間の一つとして捉えている訳であるが、
非常に示唆に富んだ講演であった。

先生がおっしゃったことをざっくりまとめると、
メタバースは情報を取捨選択する世界であるために、
私たちは見たいものしか見なくなり、社会に弊害を及ぼすというものだ。
コミュニティが閉じて社会が分断する。
政治はメタバースサービスを運営するエリートによって行われる。
やがてベーシックインカムが導入され、
市民はゲームなどをして過ごし政には口を出さなくなる。
これがある種の権威主義として、
次の社会システムに移行するのではないかというお話であった。

私が思うにメタバースには正と負の両側面が存在する。
正の側面は、気の合う仲間との交流である。
メタバース上で似た価値観を持つ者同士が集まる意義は強い。
価値観が多様化している現代において、
土着のコミュニティーに馴染めないとしても、
メタバースで自分を受け入れてくれる存在に出会いやすくなっている。
人間関係に無理をしない点からメタバースを捉えると、
苦しみを減じていく思想を感じる。
心地よい居場所を感じられる点が大きな意義である。

しかし、負の側面として社会の分断があげられる。
メタバースでVRの世界は個々人の趣味嗜好に最適化された多層世界である。
総体として多様な引き出しはあるが、
自分の興味の外にあるレイヤーの世界に移るのは難しい。
ひとりだとどうしても思想の偏りが生まれてしまう為、
何人かの友人を持つことで自分と社会との差を測ることが大切だ。
宮台先生はメタバースの中ではARの選択を勧める。
ARは土着であるため、個々人の趣味嗜好に閉じない世界である。
いいメタバースと悪いメタバースを考えてみる
という着眼点がとても勉強になる。

社会の分断は何が問題なのだろう。
問題は違う価値観を持った人の意見が理解できなくなることにある。
相手を理解しようとしないと建設的な会話が生まれない。
スケールの大きな話になってしまうが、
これは果ての民主主義の崩壊の一端でもある。
私たちの権利を守るためにも分断から協調へと
意識を変革しなければならない。

メタバースは今後も益々勢力を拡大するだろう。
そこには住みやすい世界が待っているが、
同時に社会を分断する危険性も孕まれる。
メタバースに無抵抗に飲み込まれるのではなく、
私たちひとりひとりが「メタバースを正しく扱う」という意識が大切だ。
皆の手で社会をよりよい方向に進めていこう。


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