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上井一輝の大学part3

④社会人フットサルチームxebra shizuokaへ入団する

聴覚障害者になった私は、「最後にもう一度本気になって人生を懸けた勝負がしたい。」という気持ちが芽生え始め、最後の勝負の場としてフットサルを選びます。

数多くフットサルをやる中で、当時のxebraの代表さんと一緒にボールを蹴る機会が何度かあり、練習に参加させていただけることになります。

この時は今と異なり、凄く軽いプレーばかりしていました。ボールを持てば、ある程度思い通りにプレー出来ていたので、どこでも出来るだろうと高を括っていました。

しかし、いざ、練習に参加してみると、何もできません。
もう、本当に何もできません。
パス1つ出来ません。
練習の10割がミスでした。
全てのレベルが異なりました。

後で知ったのですが、xebraはプロを目指している集団であること、そして、静岡県の高校年代のサッカーにおいてトップの実績を持つ選手たちが集まっているチームでした。
県内の強豪校に進学し、活躍していた友人からは、正気か!?と言われたほどです。
そんな事もつゆ知らない私は、ここで死ぬ気でチャレンジしてみようと決心します。

最初はとにかく練習に参加しました。
来るなとは言われてなかったと思いますが、そう思われているのが妥当な程ミスもしまくり、練習もとめまくり、足を引っ張るではなくて体ごと引っ張っているといっても過言ではない状態でも、とにかく必死に練習に参加し続けました。

練習に参加しているうちに、どうやったらこのチームで選手として上手くなれるだろうか、どうやったらこのチームにいれるだろうか、どうやったらチームに貢献できるだろうかということを考え始めました。

技術でも何においても実力差がありすぎな状態です。何か付け入るところはないだろうかと毎日考えました。
チームは週5回の活動で、週1か月1くらいでフィジカルトレーニングをやっていました。(週か月かではだいぶ異なりますが、どちらかは忘れてしまいました笑)

ある時、フィジカルトレーニングにおいて、走りの強度が人によってまちまちだということに気づき、私の生きる道はここだと確信します。
とはいえ、当時はフィジカルトレーニングも一番できなく、初歩的な自重トレーニングも出来ないため、お前なんでそんなのも出来ないの?と言われる有様でした。

しかし、聴覚障害者となった私は、ここからが一味違います。
この道で生きる覚悟を決め、走っている最中に死んでも良いと腹をくくり、毎日毎日、午前午後とこれでもかというくらい走り、自重トレーニングも行い、夜練習へ臨みます。遺伝子的にスイッチが入る状態とはまさにこのことだと言うほど、一心不乱に取り組んでいました。

自主トレーニングもさることながら、練習の強度も非常に高い為、1ヶ月で74kgあった体重が62kgとなり、体が動くようになってきました。

その後のフィジカルテストで、もうここで救急車で運ばれても良いと腹をくくり、走りに走り倒しましたら、チームでも屈指に走れるようになっていました。私のやり方は間違っていなかったんだと核心に変わり、人が嫌なことこそ、力を入れてやるようになります。高校3年間の分をここで巻き返すくらいの量をこなしました。たぶん(笑)

毎日毎日最初から120%の力を出し、必死に食らいつきました。日々の練習ではわからないことがあった際は、どんどん聞かさせていただき、チームの皆さんからは言動で沢山のことを教えていただきました。

なによりも当時のxebraの皆さんは、形はどうであれ、ド下手で何もできないに加えて、聴覚障害者の私をチームの一員として受け入れてくれたのです。(夏から練習に参加し、ユニフォームをいただけたのが秋〜冬くらいだったと記憶しています)

選手としてのプレーや日々の立ち振る舞いはもちろんのこと、音が聞こえないことに対する対応方法、社会に出たらどういったことが必要なのかまで教えてくれました。
初めて聴覚障害者に接する中でも、変に気を使う事なく、普通に、一選手として、接してくださいました。

なんて、凄い人達なんだろう。と、私も皆さんの様な格好良い人間になりたいと強く思ったのを今でも鮮明に覚えています。

また、下手くそすぎた為、先輩が配慮してくださり、xebraの活動の合間に監督をしているチームの練習にも参加させてくださいました。

大変失礼な言動も沢山しましたが、その都度、皆さんは私に適切な対応をしてくださいました。
高校時代の厳しい上下関係を知らない失礼極まりない私に、根気よく接してくださいました。

選手の皆さんの日頃の人間性、フットサルへの姿勢やプレーは、私にとって永遠の憧れです。
いつか人間性だけでも追いつき追い越せるよう日々顔晴って行く所存です。

はじめに支えてくれた友人に加えて、このxebra shizuokaというチームで、皆様にたくさんのことを教えていただいたからこそ、私は今こうして生きる事が出来ています。

この期間がなかったら、本当に、どうなっていたかわかりません。皆様の日頃の人としての立ち振る舞いやフットサルにおける情熱に触れたからこそ、自分自身と戦う事がでしました。

当時のxebraの代表、監督、選手の皆さん、関わってくださった皆様に、この場をお借りして、改めてお礼を述べさせていただきます。

本当にありがとうございました。

また、今後とも変わらぬお付き合いと、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。




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