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京都で「寿司飯ダンス」

京都で「江戸前」を探し歩く

私は根っからの寿司好きである、と前に述べた。この世に誕生する前から、神田の寿司屋のカウンターに座っていた私は(もちろん母親のお腹の中でだが)、好きが高じて、ニューヨークではパーティなどで握っていると「寿司屋」にまちがえられるほどだった。

そんな寿司好き、もちろんチャキチャキの「江戸前」好きの私が、こともあろうか、10年前、縁あって京都に移り住んだ。

京都に暮らしはじめ、その文化の洗練度と歴史的奥深さ――それは知っているかぎり、パリもはるかに及ばないほど世界的に突出している――に驚嘆した私は、当然その食文化にも舌を巻くしかなかった。ふぐの白子のようにビロードの舌触りをもちながらも、大豆の旨み・甘みを最大限に引き出した豆腐。程よい炊きかげんの豆が寒天とほぼ同量=大量に入っているにもかかわらず(他には何も入らない)、そのバランスが黒蜜とあいまって絶妙なハーモニーを醸しだす豆かん。五臓六腑の細胞に澄みわたっていくお出汁に、固すぎず柔らかすぎず撓う麺が結ばれるうどん。串にせせりが極薄で巻かれ、が、肉の上品な滋味が、鮮やかな緑色の山椒に痺れる舌を官能的に喜ばす、焼き鳥のミニマリズム。などなど。

そんな京の極度に洗練された食文化の只中で、こともあろうか、寿司好きの私は、寿司屋探しをはじめた。

京都人が「寿司」といえば、通常は押し寿司、それも鯖寿司である。その肉厚のよくシメた鯖を甘みの強い寿司飯に押しつけた塊は、それはそれで独特の進化を遂げた逸品だ。しかし、寿司といえば「江戸前」と、DNA的にも刻印されている私にとっては、それを「寿司」として身体的に認知しがたく、やはり洛中にありながらも、「江戸前」を探し求めて歩いた。

「丸っこい」握り

もちろん、京都に「江戸前(風)」寿司屋は、東京に比べれば、圧倒的に少ない。が、祇園などに足を踏み入れれば、それに福沢諭吉を最低二、三枚払う覚悟ができていれば、れっきとした「江戸前(風)」寿司屋は何軒もある。私も、そのうちの幾軒かは試した。そして、東京ではあまり感じないある現象に気づいた。店が「江戸前」から離れるほど、握りが「丸っこく」なるのだ。そういえば、と思い出した。昔、学会かなにかで金沢に行き、老舗の一軒(隣席の客たちの会話を聞くとわざわざここの寿司を食べるためだけに飛行機に乗ってくるという)で食したとき、ネタはことごとく極上で申し分ないが、握りが妙に「丸っこ」かったのだ。思わず、目が(舌が)キョトンとした。そういえば、さらに昔、大阪のミナミで、何気なく入った寿司屋では、さらに「丸っこ」くて大ぶりな握りが出てきて、やはり目が(舌が)点になったことを思い出した。そして、京都の「丸っこ」さである。

東京の江戸前握りの細身が醸す「いき」な風情を見慣れた私には、その「丸っこ」さはなんとも「無粋」な姿形に見えたが、これはこれ、関東と関西の文化的差異の表出の一つにすぎないと割り切ることにした。

(ついでに、私が体験した江戸前の「握り」の最高峰は、古には池波正太郎も通い詰めたという、浅草の「鎌寿司」のそれだ。大将は、やや大ぶりのしかも細身のネタを、シャリがちょうどウエストあたりでクビれるように握り、しかも興がのってくると、崩れるか崩れないかギリギリのシャリのまとめ方をし、(台の上に置くと崩れるので)私の掌にじかに手渡しするのだ! 翻って、「ネタ」の角度からの最高峰は、昔築地の場内にあった「やまさき」。そこは、いつ行っても、ネタというネタが、握られるに最高の「ねかせ」方で出てくる。その魚ごとに微妙に異なる「ころあい」の絶妙さは、私の知る寿司屋の中にあってずば抜けていた。こと「シャリ」に関しては、最も印象に残っているのが、浅草橋の「美家古鮨」だ。ここは、わざと炊きたての熱々の飯で握る。だから、握られたそばから食べないと、ネタはどんどんぬるくなる。それに、どんどん食べないとどんどん目の前に溜まっていくほどの速度で、次から次へと熱々の握りを繰り出してくる。だから、そのテンポで食べられない客は、当然嫌われる…。)

「寿司飯ダンス」

そんな寿司好きの父をもってしまった娘たちもまた、親譲りの寿司好きぞろいだ。特に長女(現13歳)は、東京は両国で産声をあげ、月島で1年弱育ったので、親に連れられ、上記の築地の店に足繁く通った(もちろんオンブされてだが)。

ちょうど離乳食を始めようとしていた頃、半ば冗談で、この子にも寿司を食べさせても大丈夫だろうか、と大将に尋ねたところ、妙な確信をこめて全く問題ないという。私は半信半疑だったが、大将はすでに娘の小さい手に中トロの小さい切り身を載せている。娘はそれを口に入れ、一瞬キョトンとしたが、やがて体が横揺れをはじめ、しまいには縦揺れしはじめた。以来、彼女は、極上に旨いものを食べると、横揺れ→縦揺れするようになった。

次女(現9歳)と三女(現6歳)も、長女に負けず劣らず寿司好きである。ただし、家ではもう私自身が握らなくなったため(もはや握るトレーニングをしなくなったため)、もっぱらいわゆる「手巻き」寿司をする。ただ、娘たちも、親のDNAを継いだのか、「握り」が好きで、家庭用回転寿司マシーン(楕円形に組むレールの上をオモチャの電車が皿=車両を引き連れて回る)に付属するシャリの型抜き器を使ったり、あるいは最近では見様見真似に手で握ったりして、自分独自の創作握りを作りだす。

シャリづくりはもっぱら私の役回りだ。私は、「江戸前」にもかかわらず、京都に来てからは、惚れ込んでいる「千鳥酢」、フランスのゲランドの塩、それに奄美のきび砂糖で、寿司飯を作る。飯をしゃもじで切るとき、(他の日本の道具同様)「腰」で切るので、背中から見ると、どうしても「ダンス」しているように見えるらしい。現に、私は昔、コンテンポラリー・ダンスなどをやっていたこともあり、それなりに「ダンス」になってしまうのだろう。「寿司飯ダンス」。

そういえば、娘たちも親譲りの寿司好きに加えて、皆歩きだすかださないうちから、日常的に踊っている。特に、夕食どきに、自分たちが早々に食べ終わると、おもむろに曲をかけはじめ、一人、二人、三人と、「ショータイム」を始めるのだ。時には、親たちがまだ手巻き寿司を食べている、その目の前で。

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