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ほどよい正義感

このフレーズを出すまで数日悩んだ。

正確には、数年悩んだ。

わたしはやりたいことをやっているように思われやすいが、自分の気持ちはそうでもない。やらなければならないことをやっていると、結果的にそれがやりたいことに変わってきた、という方が近いだろう。

失礼を承知で言うと、やりたいことをやって、あなたでなければと言われて、働きやすいうえに働き甲斐もあって、そんな仕事があるとしたらほんの一握りのひとしかできないと思っている。少なくともわたしのような凡人には無理。やるべきことをやろうとすると、そこから成長の喜びも得られたし、やるべきことの意味も後から理解できた。

これはあくまでわたしの人生だから、読んだひとの考え方を否定するものではないので、悪しからずご了承いただきたい。


わたしは恵まれた環境で働いてきた。もちろん、働きづらい、辞めたいと思ったことは何度もあったが、総じていうと恵まれていた。なぜなら、そこで働いている自分を誇らしく感じることができたからだ。

コンピュータでソフトウェアを開発する仕事をしていた。といっても大した仕事はできていなかった。最初は数千枚のコピーを取り続けたり、判子を押し続けたりした。それでも、その理由を先輩が教えてくれた。何のためにコピーを取っているのか、誰が使うのか、判子が押されたものと押されていないものは、どのような責任の違いがあるのか。プログラム開発をしても、わたしが書いた1文字がどこからどこに送られて、どんな形で出力されるのかを理解することができた。

入社して1年目の冬。採用のため先輩インタビューを掲載するというので、おめかしして撮影してもらった。編集者から質問を受けた。活字になったものを誇らしく家族と読んだ。家族も喜んでくれた。

「社会の歯車になっていることを実感しています」

友人が笑っていた。これ読んだら入りたくなくなると。「会社の歯車」といえば、飼いならされたようなイメージがあったからだと思うが、当時のわたしにはそれがよくわからなかった。


デイズジャパン広河氏の性暴力事件を知り、恐ろしくなった。被害者女性の文章を読んで、自分がよく感じることと重なった。もちろん、状況は全く異なるし、彼女の置かれていた境遇は異常事態である。しかし、そこに書かれている”「大義のための自己犠牲」は致し方ないという精神構造”はわたしにも存在していたし、今もまた存在している。

同時に、権力者と戦っていた広河氏が自分の持つ権力に気づかず、性暴力を起こしていたことに、企業のセクハラやパワハラと異なる面を読み取った。正義を盾にするつもりがなくとも、知らないうちにそうなってしまうことは、利益を追求する企業より、社会課題に向き合う非営利団体の方が起きやすいのではないだろうか。

お客様のために長い時間かけて働くこと。品質を上げるためにいろいろなひとに聞いて修正を繰り返すこと。常に前より高い目標を目指すこと。

どれもそれぞれが正しいことと思ってやっている。自分の役割を誇りに思うためにも、ある程度は必要なものでもあると思う。


誰も取り残されない社会 ダイバーシティ&インクルージョン エシカル

いろいろあるが、それらが行き過ぎると凶器になることを刻みたいと思い、言葉を探した。

ほどよい正義感。

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