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自宅オフィスを快適にしない3つの理由

前の記事はこちら。

今日はここから。

快適とは何か

都合よくて、心地いい状態。
誰にとって?
自分にとって。(←ここ、重要)

仕事をするうえでの快適さは
効率良く、結果を出せる状態も含まれる。
誰から見て?
会社(雇用主、お客様、仕事の関係者)にとって。(←ここも重要)

仕事は一人ではできないもの。
一緒に働く仲間や取引先がいてこそ。
自宅オフィス=快適になると、それが自分のアタリマエになる。
他人が見えにくい状況だから、他人もアタリマエだと錯覚する。
自宅オフィスが快適でない人のことを見失いがち。(←これまた重要)

自宅オフィスを快適にしない3つの理由

①自宅にいる自分以外の人にとって快適ではない
夫(妻、同居人、子ども)にとってのこれまでの快適さを奪うことで
自分の快適さをつくっている。
テレビの音を大きくする自由、走り回る自由、
そうしたものを奪っていることに早く気づかないと。

②自宅が雇用主にとって快適な場所になっている
他のメンバーと効率よく仕事するためにも、時間管理は重要。
オフィスにいた時と同様に、12時~13時は昼休憩。
食堂もないし、レストランも空いていない。
それは自炊を意味する。
健康にいいものを1時間で作って食べて片付けるのは難しい。
だからこそ、オフィスの中や近隣に食堂が流行っていたのだ。
12時にランチを出すよう誰かに望むなら
オフィスがやっていたように対価を払って委託しよう。
たとえそれが家族でも。

③自宅を快適と思わない人が視界から消える
部下や同僚の仕事が見えにくくなる。
日頃、席を並べていたのなら、なおのこと。
仕事時間の見積もりもしにくくなる。
しかし、急に自宅がオフィスになって、快適に働けるひとなどいない。
自宅オフィスが快適になっていたら快適ベースで推測してしまう。
ひとの顔も行動も見えなくなるのがオンライン。
怖ろしく想像力を破壊する。
その先には虐めやハラスメントだって起きやすい。

快適な自宅オフィスはオフィスになりやすい

わたしが自宅をオフィスに変えたいならヨシ。
自宅を自宅として残したいなら
快適とは言えないところで止めておくのがよい。
自宅は、居住するところ。
家族とともに過ごす場所であり、
ペットと癒される空間であり、
自分の時間を慈しむ場。
と思っているわたしは、快適にしすぎないようにしている。
効率も求めないように注意。

忍耐と快適の間

ここまで、極力言葉を選んで書いてきたが
この話はかねてからのジェンダー問題と共通する。
あるひとにとって働きやすい環境は、別のひとにとって働きにくい。
コロナの影響で急に自宅オフィス化しているひとも少なくないが、
自宅オフィス化が行き過ぎたら、生きづらいひとが同じ屋根の下に存在することを意味する。

夫の食事を朝昼晩につくって、もちろん片付けもして、いつもより多い洗濯をして、していなかった昼間の掃除をして、居眠りしていたら「いつもそうなのか」と嫌味を言われ、ほこりを見つけては「清潔になっていない」と罵られ、子どもの勉強も見ないといけない。自分も在宅勤務しながら、である。そんな女性が少なくない。

夫が悪いと言いたいわけではない。夫も妻も一生懸命、変化する環境の中で、時間を惜しみながら働いている。夫が妻に「食事をつくれ」と命令したとは限らない。妻が自らの役割だと思い込んでやりすぎている場合だってある。

快適をつくるとは、このような怖さをはらんでいる。
自宅オフィスが快適になることを手放しで喜べない。
いまは多くのひとが耐えるとき。
お互いに寛容になれるチャンス。

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