自分の人生を今の自分の視点から振り返るの巻
初めまして。自分のバイブスが上がってる時の思いを言語化する習慣をつけたいと思ったので始めます。
最近の私の最大の関心ごとは「キャリア」です。
大学2年になり、周りにはインターンをしたり、留学に行ったりする人が増えていくなか、私はというと「自称意識高い系」なイタイ学生です。
試してみたいことはあるけど、まだ知識もお金も足りないと言い訳をし続け、気づけばもう21歳。学生のタイムリミットはもうすぐそこです。
どうすれば、今の自分を変えることができるのだろうか。
そう考えた私は、とりあえず意識高い系(かつ行動を起こしているであろう学生)が集まりそうな場に訪れるようになりました。
そんな中で最近私がときめいた言葉は「セレンディピティ」です。
セレンディピティとは「偶然から役に立つことを見出したり、それをいい機会と捉えられる気づき」のことです。
※気になる方は是非林勝明さんの『人見知りでもセレンディピティ ー身近な奇跡が爆増する20のルール』という本を読んでみてください
今日は、私とセレンディピティの出会い(?)をお話ししつつ、noteを始めたきっかけなんかもかければいいなと思います。
セレンディピティに出会うまでの私(もはやセレンディピティは関係ありません笑)
ナルシスト人生の黄金期:〜小学生まで
約20年前、関西のど田舎に生まれた私は小学生くらいまでかなりナルシストでした。何においても1番でなくては気が済まないし、自己承認欲求が最も表に出ていた時でもあるなと今振り返ると思います。
先生に好かれるために、ルールを破った人に注意したり、時には先生に告げ口するなど、かなり周りからは嫌われていた存在だったと今振り返ると思います。今の私だったら絶対に友達になりたくないです笑
だけど、その時は自分のことを嫌いだと思ったことはなかったと思います。きっと小学生で無意識ながら、自分の信念をしっかり持っていたからこそ「自分は間違っていない」と自分で自分を信じることができていたのではないかなと、現在21歳のの自己嫌悪な自分は分析します。
ナルシストからコミュ障へ〜突然のキャラ変:中高
はっきりとした理由や出来事は全く覚えていないのですが、中学に入学した途端私は、人と話すことが苦手になってしまいました。
しかし、今振り返って自分なりに分析すると小学校6年間、1学年約80人の中で育ってきて突然新たなコミュニティで居場所を見つけなくてはならなくなり、思考停止状態になってしまったのだと思います。小学校の同級生の95%以上が同じ公立中学校に進学する中、私は市内で唯一の私立校へ入学しました。まぁ、私立といっても人くらいしか例年落ちることないへぼへぼ校だったんですけどね。
そこでは近隣の市から生徒が集まっていて、知り合いはほぼゼロ。そんな状況に陥ったことなんて物心がついてからなかったと思います。他人に好かれたい一心で「フツー」の人間を無意識に演じようとしていたのだと思います。といっても、1学年30人くらいの規模感だったので時が経つにつれ、クラスにも打ち解けることができ、それなりに楽しく過ごしていまいた。(部活は半年で辞めてしまいましたが。)
ここでの心の支えは、『親友』との出会いでしょう。小学校の頃にも(自称)たくさん仲の良い友達はいましたが、中学で私だけが離れ離れで、当時スマホを持っていなかった私は必然的に彼らとは疎遠となってしまいました。それに対し、中学では3年目にして遂にスマホをゲットし、LINEというコミュニケーションツールを獲得することができました。親友と出会ってから8年が経ちますが、今でも連絡が取れているのはLINEのおかげです。
もう1つの支えは『英語』です。当時の田舎の中学(私の地域だけかもしれませんが)では、小学生の時点で英語を本格的に取り組んでいる人は圧倒的に少なかったため、中学生の時は英語に関しては常にトップ3を維持していました。英検も積極的に頑張り、準2級まで獲得することができ、当時の自分の絶対的自信だったのです。
ここで、何を思ったのか私は英語中心の高校へ行くために、寮生活をすることを決断したのです。
もちろん、親や親戚からはこんな早くから実家を出るなんて、と止められましたし、上記に登場した親友も泣きながら止めようとしてくれました。そんな中、中身はナルシストな自分は旅立ちを決めたのです。
ネガティブモードに突入し、自己嫌悪に陥る:高校時代
周りの、反対を押し切ることに成功した15歳の私は入学初週から、後悔の念に苛まれました涙
その学校は8割以上が関東人で、方言を話す人なんでほとんどいませんでした。また、コミュ障にとってはカースト上位(個人的な感覚です実際は違ったと思います笑)の人たちしかいない場所に放り込まれてガタガタ震えておりました。あまりにもビビりすぎて、初対面の人に対してガンを飛ばすという最悪の特技を身につけました涙
それに加え、学力の差も歴然でした。今まで地元では上の上に入っていたはずなのに、、、ここにきたら全てが下の下。ギリギリの成績だったのです。得意だったはずの英語も高校の中では下から数えた方が早いような点数を叩き出し、今まで味わったことのない他人からのおバカ認定もかなりメンタルにくる現状でした。
それでもなんとか2年目にはワイワイできる友達が一定数増えたし、数学などの得意教科は中学と同じくらいの位に上り詰めることはできたのですが、コミュ障&英語コンプレックスは治らなくなってしまいました、、、、初対面の人に対する笑顔は歪んでおり、後輩に全く好かれませんでした涙
そんな時に追い打ちをかけるように悲劇は起きるのです。。。。
『3年のクラス、喋ったことある人ほとんどいない問題』
1学年100人くらいしかいないはずなのにですよ!!!!クラスを見たときには「フェ?」ってなりました。それでも数少ないお友達に縋り付くしかないと悟った私は彼女とその友達と行動するようになるのです。しかし、いつしか彼女から距離を置かれるようになりました。直接何かやられたわけではないのですが、移動教室置いていかれたり、インスタリムられたりと、よくあるやつです。でもまだ当時はシカトできる余裕がありました。別にもっと私を大事にしてくれる人たちがいると信じていたから。しかし、それも幻でした。チーーーん。
私の参加していないクラスで、私のことを話しながら中指を立てている彼女をみた時は流石にメンタルブレイクしました。あはは。何もかもが信じられなくなり、私って友達いるのかな。私って必要なのかな。
このような絶望ループを繰り返す中、人間不信になった私にとって寮生活は地獄以外の何者でもありませんでした。地元の友達や家族には自分の意思でこの選択を選んでいる手前相談をすることはできませんでした。
幸か不幸か、コロナの関係で強制退去しなければならなくなり、地獄から抜け出すことができました。
家族みんな揃って毎晩夕食食べる奇跡のような日々:コロナ禍
精神的に限界に近いなか、その原因の彼らと過ごさなければならない環境下からの解放は個人的に助かったと思いましいた。きっとあの状態で卒業まで行っていていったら、どこかで発狂していたと思います。
実家では、出張が多かった父が家にいること、野球少年だった兄弟もそれに付き添っていた母もずーっと家にいるという今まででは考えられない環境が私の心をスッと楽にしてくれました。一緒に映画を見たり、散歩したり、読書をしたり、カラオケしたり。別に仲が悪いわけでは全くありませんが、意外とうちの家庭ではザ・家族的なイベントが開催されていなかったのだなと今振り返ると思います笑
この居心地良すぎる環境に甘えすぎてしまい、ニート人間になってしまったのです。食べて寝て散歩して寝て食べて。私の恐怖の対象は関東という遥か遠い場所にいる安心感。何のために生きてるかわからないけど、とりあえず「ここ天国じゃない?」と思いながら生きてました。
でもでもでもでも、こののままじゃだめだああああ
人生初バイトを始めます @ユニクロ 地元店。
初めての面接。初めてのOJT。初めてのインカム。初めてのトイレ掃除。初めての「いらっしゃいませ〜」
「時給950円でブラックだよね」と周りから言われることは多かったですが、私は個人的に楽しく過ごしていました。自分が接客して、購入してくれるのはもちろん、お客さまが試着された商品を先輩に聞かなくでも戻せるようになったこと、欠品をバックヤードからすぐに出せるようになったこと。こんなにも、初めての物事を経験する機会が最近はなかったし、着実に覚えられていることを実感できる環境でした。また、このバイトを始めたことで、コミュ障だけど接客は好きであることに気づけたことも大きかったと思います。
人生初の一人暮らし:大学時代(現在)
2020年3月ついに脱フリーターです。しかし、入学直前、、
祖父が他界しました。
持病は元々持っていたものの、入院している期間ではなかったので理解に時間がかかりました。昨日まで一緒に美味しくご飯を食べていたおじいちゃん。部屋の片付けを手伝いながら、昔話をたくさんしてくれたおじいちゃん。意地悪そうな顔をして甘いものをこっそり食べるおじいちゃん。
物心がついてから初めての身近な人の「死」を実感する経験でした。祖母がただずっと涙を流している様子は今でも鮮明に覚えています。
しかし、祖父の死は改めて彼の偉大さを実感する機会でもありました。コロナ禍もあって直接来れない方から来た手紙や電報。その後のお別れの会に来た人の数には本当に驚きました。彼のDNAを無駄にしないためにもより邁進していかなければならないと感じた日でした。「事象意識高い系」なりになんとなくい色々やってるつもりでした。
ところがどっこい。
一人暮らしって想像以上に大変。食事や洗濯はもちろん、自分が掃除をしなければ圧倒いう間に誇りが舞い、食器は山積み。母親って偉大だな。一人分でもこんなに大変なのに、家族といえど他人の分まで文句言わずにずっとこなしてきたことに改めて感謝が溢れます。直接はいえないけどここでありがとうと記しておきます。
話を元に戻すと、やろうとする機会は人よりあるのかもしれないが、実行してないからやってない人と何も事実としては変わらないただの事象インテリ系大学生が爆誕したのです。家事が忙しい、課題が忙しい、テストが忙しい、長期休みは遊ばないと。どこがフツーの大学生と違うんじゃいと自分で突っ込みたくなる有様でした。
変わらねば、でもどうしたらいいの
大学1年目を結局なぁなぁで過ごしてしまった。。。。。学生生活残り3年マズすぎる。入学当初のモチベーションは何処へ?????
とりあえず突然焦りを感じた私は、何となく意識高そうな人がいそうなサークルへ加入します。といっても、友達に誘われてないと絶対入ってないんですけどね笑
それから、そこで出会った人から刺激をもらい、別の団体に首を突っ込んだりと何もしていない状態からは一応脱出できました。
とあるワークショップにて、「SDGsの中であなたが最も解決したいものはなんですか?」と聞かれたことがきっかけで「機会の平等」を実現したいと思うようになりました。このきっかけに関してもかなり長いストーリーとなりそうなので次の投稿であげようかなと思います笑
現状
こんなにダラダラ書いといて、最後は適当に済ますつもりか?と思われたらすいません。長々と書きすぎて描き初めとの温度差が生じてきたもので笑それ以上に、もっと現状に関しては濃く書くことで自分自身も理解できるかなと思ったので次の機会にさせてください。
次回予告
今の最大の興味関心:セレンディピティ:きっかけの提供
〜本記事の続きを添えて
今の目標:リーダー2.0になる
終わりに
ここまで目を通してくださった方。ありがとうございます。こんなに一気に文字を書くことは大学のレポート以外では初めてかもしれません。ずっとやってみたいと思いつつ躊躇していた自己開示。
このきっかけをくださったのは今日2022/10/24に参加したイベントの運営の方の中のお一人です。聞いたことがある言葉や考えでも、実行している人、特に自分が刺激を受けたことをやっている人から言われたらやるしかない。その一心で帰宅してソッコー書いてます笑
きっと40点だったとしても、誰かがアドバイスをくれる、共感してくれる、応援してくれる。多様な価値観が持てるようになたからこそ、どんどん自分をさらけ出せるようになればいいなと改めて感じた日でした。
最後まで、ご精読ありがとうございました。
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