クールジャパンと言うならば(1) 「北斎」を見つけたのは日本人ではない件

▼2020年の前半はコロナ・パンデミック一色で終わった。2020年の後半も、同じだろう。

2021年は、どうだろう。

▼昨年末に出版された、とても価値ある仕事なのに、世情のせいであまり注目されなかった一冊の翻訳書がある。

その本とともに、関連本を2冊、紹介する。

▼まず1冊目。エドモン・ド・ゴンクール著『北斎 十八世紀の日本美術』隠岐由紀子訳、東洋文庫


▼「クールジャパン」という言葉でーーこの触れ込みそのものがカタカナであるところが、いかにも日本的で面白いーー、日本を世界に売り込もうという作戦を、官民ともに展開しているが、そのクールジャパンの番付があれば、横綱か大関にあたるのが葛飾北斎である。

▼「葛飾北斎の芸術は、日本ではなく、西洋で発見された」という史実は、少し日本美術に関心をもっている人なら知っていることだが、この『北斎』が出版されたおかげで、「いかに北斎が日本で知られていなかったのか」を、北斎を世界に知らしめた当事者の原典によって、直接知ることができるようになった。

▼アメリカの雑誌「ライフ」が、1998年に組んだ特集「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に、日本人で一人だけ選ばれたのが、葛飾北斎だった。

筆者は『北斎漫画』の文庫本を持っているが、北斎展を見に行って、強く感動して買ってしまったのだった。解説も丁寧で、いい本である。どの頁をめくって見ても、飽きない。

▼さて、ゴンクールが1895年に書いた『北斎』の、第1章から抜粋しておく。それが今号の目的だ。適宜改行と太字。

〈ここに、自国の絵画をペルシャや中国の影響から奪い返し、いわば宗教に向かうように自然を探究することで若返らせ、刷新し、真に日本的なものにした画家がいる。

彼は非常に生き生きとした素描で、男を、女を、鳥を、魚を、木を、花を、草木の枝など、あらゆるものを表現する画家であった。

(中略)弟子たちが彼に抱いていた崇敬の念を別にすれば、この画家は同時代の人々から、下層民相手のおどけた絵描きないし日出づる帝国の真面目な趣味人に認められるにはふさわしからぬ作品を描いた下品な芸術家と見なされていた。

つい昨日もアメリカの画家ラ・ファージが、日本の理想主義の画家たちとかつて日本で交わした会話についてしゃべっていて証言したが、こうした彼への軽蔑の念は、我らヨーロッパ人とりわけフランス人たちが、彼の母国に一人の偉大な芸術家[北斎その人]を発見した最近まで続いていた。

彼の祖国は半世紀前に芸術家北斎を見失っていたのだ。

 そうなのだ。北斎をこの地球上で最もユニークな芸術家の一人としているのは、その生涯を通じて彼に値する栄光を享受することができずにいたということである。そして日本の著名人物事典は、北斎は、もっぱら庶民生活を描いたため、日本の大画家たちが受けたような尊敬の念を公衆から向けられることはなかったと記している。しかし、事典は続けて、もし北斎が狩野派や土佐派を継承していたなら、おそらく丸山応挙や谷文晁をもしのいでいただろうとも述べている。〉(21-22頁)

▼自国の世界に誇るべき芸術の一つを、見つけたのは日本人ではなかった。北斎の作品を包み紙に使っていたのだから、おそるべき芸術性の高さ、というべきかもしれない。これは冗談ではなく、たとえば日常生活で使う湯飲みや食器が、これほど美しく多種多様であるにもかかわらず安価な国は、日本のほかにはあまりないと思う。

▼『北斎』の本文は、事細かな北斎カタログになっている。ただし、単に作品を列挙するだけでなく、〈北斎の素描の力強さや偉大さは菖蒲(しょうぶ)のような何気ないものにも宿っている。〉(27章、145頁)といった何気ないが鋭いコメントがちりばめられている。

現在に至る、すべての北斎研究の出発点であり、この著作がなければ、北斎研究は何年遅れていたかわからない。

▼訳者の隠岐由紀子氏によるあとがきも、読みがいのあるものだ。

〈翻訳を完了してつくづく思うのは、数え九十歳という長寿を誇り、死の間際まで制作し続けた画狂人北斎の多岐多産な創作活動の全容を物語る書物は、二十一世紀の今日に至るまでゴンクールの『北斎』しか存在しえなかったという感慨である。ゴンクールの日本美術愛と美術史家的洞察そして筆力、林忠正の学才と熱烈な誠意などなど、ここには日本にとっても、フランスにとってもまことに幸運な稀にみる人智の結集がある。〉(351-352頁)

▼林忠正とゴンクールのドラマについて紹介するときりがないから省略するが、ひとつだけ、「起立工商会社」という会社名が出てくる。この会社の存在を、じつに上手に生かしたマンガがある。

高浜寛『ニュクスの角灯(ランタン)』全6巻、リイド社

▼このマンガは、「明治アンティーク浪漫(ロマン)」という触れ込みの傑作である。主人公は、西南戦争で親を亡くした女の子。

ネタバレになるので書けないのだが、すべての物語は、ラストに至る数頁の展開のためにある。このラストは、マンガでしか描けない表現だと思う。小説でもなく、映画でもなく。筆者は読み終わった時に思わず唸(うな)ってしまった。

しかし同時に、それまでのすべての物語の一つひとつに、「ベルエポック」(最も美しい時代)と呼ばれたパリと、明治初期の長崎の、社会風俗が息づいている。

たとえば、ゴンクールが北斎を知るきっかけが、じつにうまく創作されているが、いかにもそうだったかもしれない、と思わせる真実味のある脚本と、脂の乗った画力だ。

▼大きなウソをつくために、膨大な細かい事実を注ぎ込んだ類の物語の、優れた典型例といえる。

しかも、その大きなウソが、読者の「現実」に、読んだ誰もが納得せざるをえないような強い説得力をもって、リンクされているのだ。

近代が生み出した科学技術の便利さ、きらびやかさ、憧れは、何に帰結したのか。その帰結を「知っている」とは、どういうことなのか。読み終わった後、自問せざるをえなかった。

清原果耶(かや)氏を主演に据えて、NHKでドラマ化してほしいところだ。

(2020年7月7日)

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