見出し画像

子どもの不登校を、周りから責められること

子どもが学校に「行かない、行けない」日が続くことで、
わたしは、どんどん不安になっていきました。

小学校入学前から「息子は小学校に合わないかもしれない」と
感じていたり、わたし自身、子どもの頃に学校に行くことが辛くて、
「学校に行った方がいい、行くべきだ」と、思っていたわけでもないのに、

どんどん心配になり、
「何がいけなかったんだろう、どうすればよかったんだろう」と
自分が過ごしてきた毎日の中から原因を探して、
 
「どうすれば、学校に行くようになるんだろう」と
不安と戸惑いで泣きたくなる気もちを必死に抑えて、悩み、考えて、
探していました。

毎日、これからずっと学校に行かなかったら、
将来どうなるんだろう、、
友だちもできない、働けない、恋愛も結婚もできない、
そんな人生どうなんだろうか、、、と

勝手に妄想しては怖くなり、

学校に行って欲しくて、行って欲しくて、
無理やり行かせようとしたり、媚びるようにして行かせようとしたり、
物で釣って行かせようとしたり、、、
毎日、子どもの「行く気」に一喜一憂して、
ストレスから、子どもに八つ当たりしていました。

「なんで、学校に行かないんだろう」という問いの中には、
子どもへの期待や怒りや哀しみ、自分への不甲斐なさ、
罪悪感や劣等感など、
本当に複雑な気もちが含まれているものだと思います。

世間体のために、とりあえず学校に行って欲しい。
行かなくていいよって言えなくて申し訳ない。
仕事があるから毎日家にいられると困る。
学校に行かないことの何が問題なんだっけ、、、

もう、感じたことがない複雑な気もちに飲まれて、
「とにかく、行くことさえ叶えばとりあえずいい!」と
藁をもすがる思いでいたことを思い出します。

今は、子どもにも、わたしにも必要な場を
自分で創ることにしたので落ちつきましたが、

息子もわたしも嬉しさを感じない「登校」を目指していたので、
目指している時は辛くて、
そして、もし叶った時が訪れたとしても、
わたしたちはとても辛かったと思います。

さらに、ひとりでいても自分を責めずにはいられないのに、
親や周りから「責められる」ことさえあるのですから、
本当に孤立をして、苦しかったですね。

「行かない」と決めた子どもでさえ、
「本当は行った方がいい、行けるようになりたい」と思っていたり、
「行かないこと」にした自分に劣等感を感じたり、
自分の将来へ不安を抱いているし、親に後ろめたさを感じたりしていて

その気もちがわからないではないのに、

そんな子どもをどうサポートすればいいのか、
わからなくて、わからなくて、困っているところに追い打ちです。

もう、そんなの限界ですよね。

ただ、その「責められる」ことがあって、
「なんで、こんなことを言われるんだろう」と腹立たしく思ったり、
「なんで、わかってもらえないんだろう」と哀しくなったり、

そのなんの生産性のない気もちを
「学校に行かない」と決めた息子に向けることが
わたしは、何より苦しかったです。

子どもに八つ当たりをすることほど
苦しいことはこの世にないとわたしは思います。

不登校を通してわかったことですが、
誰にどれだけでも責められても、理解をされなくてもいいんです。
何も知らない相手が、相手の価値観で何を言っていても
別に、何も問題がありません。

でも、子どものことを知っていて、
子どものことをどれほど大切に想っているか
自分の心を知っていて、
子どもの幸せを誰よりも願う自分が、

子どもに八つ当たりをすることは、苦しいなんてもんじゃないです。

「責められることは辛い」ということにしているけれど、
責められることなんて、本当に、本当はなんでもないと思います。

本当に、自分がなんとかしたいこと。
それは子どものことも、自分のことも、大切にすることだと思います。

「責められたくない」なんて本当の願いでも、望みでもなくて、
「子どもも自分も、大切にすることができない」と諦めている時に
出てくる仮の願いのように感じます。

子どものことも、
自分のことも、大切にする。
そう決めることで、気にならなくなることはとても多いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?