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【不登校】一番の後悔は、子どもを無理やり行かせようとしたこと

「子どもは、学校に行くこと」が正しい、
「子どもを、学校に行かせること」が正しい。

「不登校」は「まちがい」。
「不登校」は「問題」。

これらの思い込みや
「まちがい」をした時の「恐怖心」で

とにかく「学校に行ってくれさえすればいい」と
自分の都合を押しつけたことが、わたしの一番の後悔です。

どうして、息子の気もちに寄り添えなかったのか。
なんで、自分の保身や自分の都合のために
子どもに負担を負わせようとしたのか、
後悔してもしても、自分が許せませんでした。

自分を、責めても責めても仕方がないし、
息子に、謝っても謝っても、取り返しはつかないし、
 
信用も信頼も一度失えば取り戻すことは大変で
どう返していけばいいか悩みますが、

子どもの居場所になることができなかったので、
フリースクールを創ってまた心を育み直したいと思っています!

未熟だった自分を認め受け入れて
嫌なことをした自分の許すことは、ものすごく大変です。

「被害者」と「加害者」でどちらが辛いか、、なんて
比べられるものではないけれど、

わたしは、自分が傷つけられたことより
傷つけたことの方が、圧倒的に心が痛みます。

自分が自分であることが
苦しくて苦しくて仕方がない。

子どもに「学校に行って欲しい」という期待を押しつけることは、
親自身が「正しさ」や「恐怖」に縛られている証

「子どもに問題がある」
「子どもが学校に行ったら大丈夫」だと思っていると、

「正しさ」に縛られて苦しんでいる自分はそのままだし、
怖くて怖くて仕方がない状態でいる自分は放っておかれる、
ということになります。
 
親が自分の「苦しみ」や「恐怖心」から逃げていることは
子どもにとって迷惑なので、

親は、自分を「苦しみ」や「恐怖心」から解放してあげて、
自分を大切にする必要
があるんです。

子どもを無理やり学校に行かせようとしたのは、

自分を大切にしない人生、
自分を蔑ろにする人生、
自分に我慢をさせて、自分を卑下してきた人生に

子どもを巻き込んでしまった、ということだと思っています。

自分を大切にする人生を歩むことが、お返しの第一歩です。





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