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Connecting dotsのdots (点)を打つこと

「学びとは何か」の社内のセミナー

昨年からの活動で社内でセミナーを開催する機会に恵まれたので
「学びとは」を題材にしたテーマで会社OBの荒木博行さんを講師として招いてセミナーを企画しました。

テーマは「学びとは何か」というザックリとしたもので、
『独学の地図』という本を元に各自が議論したい点を持ち寄り、講師の視点や参加者の意見を吸い出しながら「学び」というテーマについて想うところを話していく形式でした。

セミナーの中での学びは経営戦略からファシリテーションの方法まで多岐に渡りどれも楽しいテーマでしたが、その中で以下のような言葉が出てきました。

スティーブ・ジョブズのConnecting dotsは線になることは語られているけど、点を打つという点はあまり語られていないんです。

講師の言葉


Connecting dots とは

Connecting dotsとはスティーブ・ジョブズの有名なスピーチ話したキャリアの一つの考え方です。

過去の経験が思いもよらぬ未来で活きることを表します。
百聞は一見にしかずなので引用を載せておきます。

まずは、点と点をつなげる、ということです。

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

日本経済新聞


Connecting dotsのdotsを打つこと


スティーブ・ジョブズは「過去の点があれば、それがいつか未来から振り返った時に線になってくれます」みたいなことを語っていると思います。

ですが、それは点を打つ行為をしていることが前提となっています。

自分が経験や出来事が起きた時に「点」として捉えられていないことは
過去の日常に溶け込んでしまって、未来から見た時に点として認識できません。

振り返って見てみたら、「点」が5年前かもしれない。
いや、もはや振り返る「点」もない…なんてこともあるかもしれないです。

dotsを捉えること

「点」として捉える方法として重要とセミナーで話していたのが、
経験や出来事を自分なりに抽象化しておくことでした。

抽象化しておくこと


起きて、出社して、業務して、料理して、Netflix見て、寝て、、
私たちは毎日忙しなく色んな活動の連続で生きています。

昨日と同じ自分はいないし、なんなら通勤の前後でも差分ができています。

この差分を流さずに抽象化して、引っ掛かりにしておくことが
「点」として認識されるポイントになります。

例えば、4月から息子が保育園に行くようになりました。
前日に準備できるもの、朝に準備するもの、自分が起きてからの着る服、息子の起こすタイミングと起こし方、、
シュミレーションを怠ると朝の大惨事に繋がります。

準備が大切なのはこれまでの人生で十分わかっていましたが、
実際やってみると朝の時間はシビアで、息子の機嫌によっても難易度が異なります。

より具体的なイメージを持って準備していくことを求められており、
前日に妻と寝た時間や天気を元にした朝の作戦会議が夜の会話の1トピックです。

今回の例えでは「あらゆるパターンを想定した入念な準備」が最近の小さな学びであり抽象化したことです。

そして、もちろんまだ実感はしていないですが、
ここで抽象化したことはいつかの何某に活きることがあるかもしれません。

仕事のプロジェクトで準備の仕方が変わって大きな成果を生み出したり、旅行の計画がうまくなったり。
何と繋がるかは現在はわかりませんが、点になる可能性は秘めていると思います。

日々の経験の差分を解釈して抽象化して貯めておくことをしていきたいと思っています。

自分なりに

結局、未来から振り返った時に「点」になりうるのは、自分が作った心の中の引っ掛かりです。

ここでの抽象化が自分に残らない言葉に落とし込むと
その点になりうる事象は自分の中で迷子状態となります。

セミナーの中でも本の中でも学びを「それっぽい一般論」で終わらせないことが、もう一歩深い学びを得る効果的な方法と繰り返し紹介されていました。

おそらく、個人個人で引っ掛かる表現は違います。
もしかしたら絵で表現した方がいい人もいるかもしれません。

どんな方法であれ、どんな言葉であれ
自分なりの解釈が後々重要だと思っています。

(そういう意味ではさっき例に出した話は
まだ自分なりの言葉に落とし込めてないです。)

最後に

「点と点がつながって線になった」という話は各々感じたことはあると思います。

ここで書いたのはその「線」を色々な方向にも複数にも広げられる可能性のある「点」を意識するための一つの気づきでした。

「学び」とは目的を明確にもったものだけではなく、
自分が意味がないと思っていることの中にも落ちており、
全ての経験が学びに昇華することができると思います。

今日という一日で起きる出来事が「点」になるように
変わらず、日々を大切にしていきたいです。