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「『オンラインでの精神科受診はADHD傾向のある鬱病患者を救う』……かもしれない」という話。

合理的配慮の獲得を目標に、重い腰を上げてオンラインの精神科を受診し始めた。これは、ADHD傾向がありながら抑鬱状態でもある筆者が「『オンラインでの精神科受診はADHD傾向のある鬱病患者を救う』……かもしれない」と思った話である(爆速タイトル回収)


「精神科に通い、"普通"の生活を取り戻したい」という気持ちとADHDの傾向。そして鬱は加速する。

 前提として、筆者の母は、幼少期に軽度のADHDであるとの診断を受けている。その母に言わせれば、筆者もADHDの傾向があるらしい。また、母はかつて重度の鬱状態であり、筆者はその状態を目の当たりにしていた。

Step.1 小学生

 思えば、小学生の頃が一番酷かった。一番酷かったのは「家で宿題をやってこない」ことだ。何故やってこないのかといえば、宿題の存在を忘れてしまうからだ。何度教師に怒られても、家路の途中でその記憶は何処かに行ってしまう。連絡帳に書いても、連絡帳を見ることを忘れてしまうので、困った担任教師は「『宿題』と書かれた紙をランドセルの時間割カバーに入れる」という対策を講じてくれた。しかし、筆者はランドセルを開くことすら忘れてしまう。実際、ランドセルを開くことすら忘れてしまうので、時間割に合わせて教科書やノートを入れ替えることが出来ず忘れ物も多かったし、筆箱の中の鉛筆の先はいつも丸かった(本来は家の鉛筆削りで削ってくることになっていた)。なんとか思い出して宿題をやっても、宿題をやったノートを忘れるし、宿題をやったノートを持ってきたかと思えば、筆箱を忘れるのだ。我ながら、本当にどうしようもない。
 一応、筆箱に関しては母が担任教師に掛け合って「予備の筆箱を道具箱の中に置かせてもらう」という解決行なわれていたし、先の丸い鉛筆は学校でも削ることが出来たし、教科書は(少々力技だが)殆ど全種類をランドセルの中に入れておけば良かったし、ノートは予備の「なんでもノート」を一冊用意しておけば乗り切れた。しかし、宿題だけはどうにもならない。小学校低学年の頃は預け先の学童保育で「宿題の時間」が設けられていたため、強制的に宿題をやることが出来た。しかし、学童保育卒業後の小学校高学年では、殆ど毎日居残りで宿題をやっていた記憶がある。

 また、今となっては笑い話だが、当時の筆者が「自分がいかに忘れっぽいか」を涙ながらに痛感させられたのが「ランドセルを忘れて登校した」エピソードだ。筆者は昔から考え事・妄想に耽ることが多かった。ただ「考え事・妄想に耽ることが多かった」のであれば何も問題はないのだが、筆者の場合、ADHDの特性のひとつである過集中と結び付いて「それ以外のことは何も気にしなくなる」——否、「出来なくなる」のだ(これを理由として、何度授業・部活動中に怒られたことか……)。ランドセルを忘れて登校した日の朝も、筆者はいつも通り考え事に耽っていた。自分の背中がいつもより明らかに軽いことなんかには、全く気が付くことが出来なかった。そうして校門をくぐり、友達に声を掛けられたときである。

……なんで手提げカバンしか持ってないの?

エッ?!そんなはずはない。だっていつも通り、ちゃんとランドセルを背負って……ない!自宅から小学校までの徒歩15分、自分は何故こんな簡単な違和感にも気が付くことが出来なかったのか。悔しいやら、情けないやら、恥ずかしいやら、様々な感情が瞬時に爆発して、周囲がちゃんとランドセルを背負って登校する中、くだらない考え事と手提げカバンだけを携えて登校してしまった間抜けな子供は、もうただただ泣くことしか出来なかったのである。

step.2 中学生・高校生

 小学生時分はそんな風だった筆者であったが、中学生・高校生にもなれば、母の助けもあって自身のADHD傾向を把握し"普通"に生きるための術を少しずつ身に付け始めていた。小学校の宿題は簡単な一方で、量をこなしたり親の協力を得る(音読を聴いて、音読カードに印鑑を押してもらう等)必要があったりした。しかし、中学校・高校の宿題は、学習内容が身に付いてさえいれば10分足らずで終わる量のものが多かった。幸い筆者は勉強が得意な方だったので、授業間の休み時間を利用すれば、おおよその宿題はやり忘れずに済んだのである。教科書や筆記用具も、基本は"置き勉"をして、いざとなれば他クラスの友人に借りることが出来た。小学校とは違いシャープペンシルの使用が許可されていたので、鉛筆を削る必要もなくなった。また、先述の「ランドセルを忘れて登校した」という苦い経験から、学生カバンをちゃんと持っているかは毎朝しっかり確認するようになった。女生徒用の学生服に付けるリボンも、忘れた時は職員室で申請して借りれば良いと学んだ(当然のように、忘れないことは出来なかった)。また、高校受験・大学受験といった絶対に失敗出来ない手続きに関しても母や教師たちが率先して動いてくれたので失敗せずに済んだ。
 こうして「人よりも忘れっぽいけどなんとか上手くやってる人」が生まれたのである。

step.3 浪人期

 筆者は2002年2月生まれであり、丁度受験シーズンにコロナが流行り始めた世代である。「どうせ普通のキャンパスライフを送れないのであれば、滑り止めの大学に通うよりは浪人しても第一志望の大学を目指した方が良いだろう」という見解で母と一致したため、私立は受けずに国公立大学の前期一本で受験し、普通に落ちた。そして、筆者は闇の浪人期に突入することになったのだ。

 筆者が明確に「鬱」を意識するようになったのは、この浪人期である。当時の交際相手が関係してくる部分もあるため詳しくは語らないが、とにかく辛かった。何も出来なかった。肝心の勉強も手に付かなかった。平熱は35.8〜36.2度程度であったはずなのに、37度台の微熱が何ヶ月も続いた。泣くようなことはないはずなのに、涙が止まらなかった。かつて見た、重度の鬱状態の母と自分が重なった。
 唯一幸いだったのは、コロナ禍にあって、現役で合格した同級生のキラキラしたキャンパスライフを目の当たりにせずに済んだことくらいだろうか。それでも、身体的・精神的に調子を崩し、「浪人生」という身分でありながら勉強さえもままならない状態に追い詰められ、鬱状態を悪化させ、さらに調子を崩す……という負のループに陥っていたのである。参考までに、筆者の浪人期の勉強時間は1年を通して900時間にも満たなかった。平均すれば1日2時間半程度であるが、実際の勉強時間の割合は鬱状態に陥っていなかった浪人期前半が殆どであり、鬱状態に陥った浪人期後半は一切勉強出来ない日が続いていた。

 そして、筆者が初めて精神科を受診したのも、この浪人期である。藁にも縋る思いだった。勉強どころか基本的な生活もままならない中で、予約を取り、風呂にも入れず薄汚い着の身着のまま自宅を出て、ようやく辿り着いた精神科。虚な瞳で現状を語る筆者を、担当医は「抑鬱状態」と認定したのである。
 抑鬱状態からの回復に向けて、担当医から最初に提示されたのは「自律神経を整える」ための指導であった。

では、この紙に寝ていた時間を記録してください。睡眠時間だけでなく、横になっていた時間も含めてお願いします

エッ?!これは、もしかしなくても……

(筆者が苦手なタイプの)宿題だァ〜!!!!!

人よりも忘れっぽいけどなんとか上手くやってる人敗北の瞬間である。当然の如く記録しきれず、最初の数日以外白紙に近い用紙を持って訪れた2回目の精神科。担当医は淡々と「次はちゃんとお願いします」と告げた。しかし、"次"は無かった。渡された用紙は、やっぱり最初の数日以外白紙に近いままだった。再び同じような状態の用紙を持って精神科を訪れるほどの勇気は、抑鬱状態で追い詰められた筆者には無かったのである。今思えば、自身のADHD傾向についてもちゃんと相談するべきだったのかもしれない。
 こうして「人よりも忘れっぽいけどなんとか上手くやってた人」は「その特性によって抑鬱状態を加速させる人」になってしまったのである。

step.4 大学生

 そんな状態でもなんとか第一志望の大学に合格した筆者は、現在もその大学に在籍している(なお、浪人期を知る友人たちからは「本当になんで合格出来たの?」と言われ続けている)。筆者が思うに、ADHD傾向のある学生にとっての最難関は大学生活。以下にその一例を示そう。


  • 履修登録期間っていつからいつまで!?

  • エッ?!再履修申請期間は3日しかない?!しかも、もう終わってる?!

  • アッ!出席したのにオンラインでの出席課題の提出を忘れた!

  • 出席課題の提出を忘れ続けていた講義を切ろうと思っていたのに、履修取消期間がもう終わってるって本当ですか?!

  • エッ?!ゼミの研究発表、自分の担当は明日?!全然忘れてたからまだ何も手を付けていないが?!

  • アッ!考え事をしていたら、出席課題提出用のGoogle formのQRコードを読み込み損ねた!

  • そういえば、教科書購入してなかった……


上記の例は、すべて筆者の経験に基づいている。これが原因で浪人期から引き摺っている抑鬱状態をさらに拗らせてしまい、当然大学の成績は芳しくなく、奨学金や授業料減免は最速で打ち切られてしまった

 そういった学生に対する救済措置として、大学は「合理的配慮」という制度を設けている。大学に対して合理的配慮を求める際には根拠資料が必要とされる。ADHDや鬱の場合は、医療機関が発行した診断書が根拠資料となる。調べたところ、ADHDはすぐに診断が下りるものではないようだったので、筆者は抑鬱状態に対する合理的配慮の獲得を目標に再度精神科を受診し、大学1年生のうちに2度失敗した
 まず、ADHD傾向が邪魔をしてくる。再診予約を忘れるわ、再診予約が出来ても予約したことを忘れて無断キャンセルするわ、予約したことを覚えていても時間通りに自宅を出られなくて無断キャンセルするわ、薬を出されても飲み忘れるわ、もう散々である。また、抑鬱状態自体が邪魔をしてくることもあった。自宅を出る準備をするだけで涙が止まらず、まるで外出用の服に着替えること自体を心が拒否しているような感覚があった。「そもそも、大学にすら通えない人間が精神科に定期的に通院するなんて出来るわけがなかったんだ」という自暴自棄のような気持ちだけが育ち、やがて筆者は精神科受診そのものを諦めるようになってしまったのである。
 こうして「人よりも忘れっぽいけどなんとか上手くやってた人」は「その特性によって抑鬱状態を加速させる人」になり、精神科に通えないがために診断書も出ず、しかし単位確保のため教授に個人的な合理的配を求めてメールしまくるという「特に根拠資料もなく鬱病を自称する人」になってしまったのである。一体筆者が何をしたというのか。もしかして、前世、そんなに酷かったんですか……?

回想:精神科医は言った。「鬱病患者の中には、ADHDが原因で鬱状態に陥ってしまっている人も多いんですよ」と。

 先述の例を見て「だらしない大学生だなあ」と思ったそこのあなた、その感想は正しい。筆者はADHD傾向がある(と思っている)だけで、ADHDの診断が下っているわけではない。ADHDの診断が下っていないということは、現状ADHDではない」のだ。いかに筆者が自身のADHD傾向を訴えようとも、根拠資料が無ければだらしなさとして無視されるのが現実である。
 そして、ADHDはすぐに診断が下りるものではない。継続的な通院やグループワークへの参加によって、慎重に見定められるべきものだからだ。現状ADHDではないとされる以上、だらしない大学生だなあという世間の目は、自身の目でもあり、それがより一層鬱状態を加速させる。これが、筆者が担当医に言われた「鬱病患者の中には、ADHDが原因で鬱状態に陥ってしまっている人も多いんですよ」という言葉に繋がるのである。

オンラインの精神科を受診してみたら、簡単すぎてマジでビックリした。料金もそんなに高くないし。

 筆者は今年、2回目の大学3年生をしている。昨年度後期に休学し、今年度前期から復学したためだ。正直、半期だけでも休学すれば抑鬱状態は回復すると思っていたし、実質快方に向かっていた。しかし、復学した途端に、大学に通えなかった記憶が、大学に通おうとして苦しんだ記憶が鮮明に蘇り、またしても抑鬱状態が悪化してしまったのだ。「また大学に行けなかった」「やっぱり自分は"普通"の大学生にはなれないんだ」——そんな鬱屈とした思考が、脳内で染みのように広がっていった。

 そんな時に目を付けたのが、オンラインで受診可能な精神科だった。きっかけがなんだったか明確には覚えていないが、とにかく「オンラインなら自宅から出られずとも定期的に受診できるかもしれない」「今度こそ診断書を受け取り、合理的配慮を求められるかもしれない」「"普通"の大学生に近付けるかもしれない」という希望は、筆者にとってとても大きな発見だった。

オンラインメンタルクリニック-初診

 すぐさま予約をして、受診日当日。予めメールで送付されたURLを指定の時間にタップするだけで診察が開始される。スマートフォン越しであること以外は以前に受診した精神科の診察となんら変わらず、診断書の発行についても受理され、薬剤の処方を受けることも出来た。さらに、再診予約も担当医が行ってくれたため、少なくとも再診予約を忘れて受信出来ないという心配はなくなった。
 こうして、精神科に通えないがために診断書も出ず、しかし単位確保のため教授に個人的な合理的配を求めてメールしまくるという「特に根拠資料もなく鬱病を自称する人」は、「診断書付きの鬱病患者」に昇格(?)する機会を得ることが出来たのである。

オンラインメンタルクリニック-処方

 処方された薬剤は近所の薬局で受け取ることも出来たが、抑鬱状態が悪化している状況で外出するのは難しいだろうとの自己判断から郵送してもらうことにした。精神科同様、スマートフォン越しに薬剤師の説明を聞き、郵送の手続きを済ませれば、薬剤はすぐに手元に届いた。エッ?!こんな簡単に全部終わっていいんですか?!

「『オンラインでの精神科受診はADHD傾向のある鬱病患者を救う』……かもしれない」という話。

 ADHD傾向がありながら抑鬱状態でもある筆者が精神科を受診する際に最も苦しめられていたのは、やはり以下に引用した部分である。

 まず、ADHD傾向が邪魔をしてくる。再診予約を忘れるわ、再診予約が出来ても予約したことを忘れて無断キャンセルするわ、予約したことを覚えていても時間通りに自宅を出られなくて無断キャンセルするわ、薬を出されても飲み忘れるわ、もう散々である。また、抑鬱状態自体が邪魔をしてくることもあった。自宅を出る準備をするだけで涙が止まらず、まるで外出用の服に着替えること自体を心が拒否しているような感覚があった。

本記事本文より引用

そして、オンラインの精神科はこの辺りの悩みをおおよそ解決してくれたと感じている。担当医が再診予約をしてくれたし、予約時間ギリギリであっても気が付きさえすれば受診に間に合うし、薬の飲み忘れに関してはどうにもならないものの、準備をして自宅を出るという必要もない。診断書も発行してくれるし、薬剤の処方に関しても、自宅にいながら受取まで完結出来る。「何も出来ない自分」から「精神科に通える(=鬱状態から脱しようと努力出来る)自分」になることが出来たのだ。
 まだ毎日大学に通えるような状態ではないが、出来る限りは登校するようにしている。合理的配慮を獲得するため、学生相談センターにも問い合わせ中だ。もう少しだけ頑張ってみようと思えるのは、幸せなことだね。

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