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敗金主義者の朝は早い
貧乏暇なし、働かざる者食うべからず、ほしがりませんカツまでは。カツ丼のカツ抜き納豆がけで朝をすます毎日。敗金主義者は勤勉だし、健康的だ。しかし、金はないのであるから、現在の高度貨幣経済の中では勤勉と、健康的なことは直接金に結びつかないと結論づけてしまうのである。
まあ、マイルドなインフレ時は需要があるわけだから、勤勉に労働すれば連動して果実を味わえるわけだが、需要不足のこの長期デフレ状態においては働くだけ損で当然だし、砂糖(富、マネー)の奪い合い戦国時代な状態なわけだから、敗金主義が蔓延ってしまうわけだ。
どうやら、拝金主義は敗金主義者をもれなく生み出してしまうらしい。
評論家はここ30年もデフレが続いているせいでこれからの対処方法として紹介するやり方が全てデフレ思考になっている。具体例は出さないけど、上に政策あれば、下に対策あり、現状認識して対処療法を行うのであればそうならざるを得ないとも言える。
しかし、どうだろう。インフレ傾向にするだけでそれらは一変するのである。自分の生き方や、自分が持つ、あるいは欲しい物の価値、自分の人生、自分の生き甲斐、自分の趣味、それらの価値が拝金主義経済圏の中では当然のように「マネー」によって変えられてしまうのだから恐ろしい。
全てのものが「対マネー」という価値観であるこの経済圏では「仕事(供給)」もそれで左右されるわけだから、仕事=自分の価値という公式を大切にする人間ならばそれらは全てマネーによって左右されてしまうということなのだから、デフレになると自分の価値が下がってしまう、という結論になってしまう。
だから、逆説的にそれらの評価を経済に変換する考え方も生まれていくのだけど、実はそれはデフレ時だけの特徴なのだ。インフレ時は相対的に自分の価値が高くなるわけだから、他者からの自分の評価よりも自分自身が何をしたいか、を考える傾向になるということである(翻って、それは自己中になりがち、ということでもある)。まあ、その余裕が生まれるということだ。
誰かが市中の庶民全てに金を必要なだけまわすだけで、砂糖を島中の人間に行き渡るほど供給するだけで、徐々にインフレ傾向になるのは道理なのだから、拝金主義者でなくてもそれを望むと思うがどうだろうか?
人類の発展は余剰からなのだ。これは歴史的経緯である。芸術は特にそう。金が唸るほどあれば裾野は広がる。下地があれば好景気がそれを後押しするのだ。なぜ余剰で糧を得る人間がインフレを声だかに叫ばないのか?砂糖の島の住人のような気持ちなのだろうか(「拝金主義者の発見」を参照)?
とにかく、こんなことを考えているから、敗金主義者の朝は早いのである。
今回はここまで。
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