おいとべに⑤
不定期連載小説です。
同居猫の方はすっかり心を許してしまっている様だったが、もう一方の同居人である清彦にしたら成り行きとは言え、大変な事を決めてしまったという気持ちになっていたのが正直なところだった。でも、今更覆す事も出来ない。一度約束してしまったし、初江が絶対に許さないだろう。それに、七海もすっかり清彦に寄せる態度に親しみが込められている様にも感じられた。気のせいかもしれないが。いや、きっと気のせいだろう。少なくとも、七海は良彦とはすっかり仲良くなったようで、まるで年の離れた姉妹のように仲良くファッションの話題で盛り上がっていた。二人共さっきまで泣いていたのに切り替えの早い事といったらない。
「ところで、お前、こっちで暮すのは良いとしても学校はどうするんだ?」
仲良さげな二人の会話に割り込もうと考え付いた話題があまりにも陳腐であった事に後悔したが、ここで暮らせる了承を取った事で安心しているのか、良彦は機嫌もよさげにこたえてきた。
「だって、明日から夏休みだよ」
「あっ、そうなんだ。はは、もうそんな季節か」
「夏休みなんて懐かしいなぁ。お姉ちゃんもそんな頃あったけど、働きだしてから休みあんまり取れてないや」
七海が思い出すようにそう言うと、良彦がにやついた。
「七海さんって今でも制服来たら高校生に見えそうね」
「よっちゃんたら上手ね。私もう二六よ」
「エー見えない。全然見えない。隣で制服来たら絶対姉妹に間違われるって。今度一緒に買い物行こうよ」
「いいわね。でも、制服は勘弁よ」
「了解です!でも、七海さんもてるでしょ?私とタメの頃とか男の子がうようよ来たでしょ?」
良彦がまるで少女のような声で身を乗り出してそう聞くと、七海は肩をすくめて微笑んだ。一語たりとも逃すまいと清彦の耳はそちらに全て向けられていたが、飛び込んできたのは初江の声だった。
「もてる、もてる。動物病院に可愛い助手がいるってこの辺の飼い主の間じゃ有名なんだから。一時期なんて男共が列作っちゃたんだから。私の旦那なんてわざわざ冷麦茹でて猫に食べさせて、その糞をもって、寄生虫の仕業だ!なんて理由作って行っちゃうくらいなんだから。あら、食事中にごめんなさいねぇ」
清彦が何度も聞いている浩二のネタは良彦と七海には受けたようで、気をよくした初江は話を続けた。
「でも、この子今フリーなのよ。もったいないでしょ?」
良彦が「うっそー」と大げさくらいの奇声を上げた。
「結構イケメンとか羽振りの良さそうな人が告白しているのよ。かわりにこのおばちゃんがいただきたいくらいなのに、この子全然気を向けないのよ。身持ちが硬いって言うか、真面目って言うか。若いのにもったいないわよね。そうでしょ、清ちゃん?」
「え?ぼ、僕に聞かれても」
急にかしこまった清彦だったが、視線は七海に向けられていた。それはぜひとも聞きたいことだ。七海は困った顔をしながらも、興味津々をまっすぐに向けてくる良彦の瞳に負けるかのように口を開いた。
「なんって言うか、その、合う人がいないんですもん」
その言葉に良彦がすぐに反応して頷いた。
「そうなのよね。いくら求められても合うって思えないと、一緒にいてもねぇ」
「ちょっと待て、お前にもいるのか?まさか、それは男じゃないだろうな?」
「何言ってるの清ちゃん、男よ、当たり前じゃない」
良彦が悪びれもなくそう言ったので、清彦はまた天を仰いで、両手で顔を覆った。
「やめてくれ、甥の好きな男の話なんて聞きたくない。それに、清ちゃんって呼ぶな!」
「何よ!私だって恋くらいするんだから。だって、もう十六だもん。そんな事言う清ちゃんは嫌い」
清彦の「だから、清ちゃんはよせって」と言う言葉に初江の好奇心に満ちた声が覆いかぶさった。
「何々、どんな子が好きなの?もしかして初恋の相手?」
「初恋の相手じゃないけど、違うクラスの子なの。野球部で」
「もう、いい!頼むからその話題はしないで」と言う清彦の言葉も、七海の抜けるような言葉に打ち消された。
「いいわよね、野球部の男の子って。格好良さが三割り増しって感じで。私の初恋の人も野球部だったし」
「エー、奇遇、実は私もそうかも」
「あら、よっちゃんも?じゃあ、おばさんもそう」
「あれぇ、初江さんは浩二さんが初恋の人って言ってたじゃないですか。浩二さんって野球部だったんですか?」
「何言ってるのよ、七海ちゃん。見て分かるでしょ、あのでっぱりお腹が野球部なわけないじゃない。あの人、自分の玉だってコントロールできないんだから」
初江の冗談にまた三人は笑い合っていたが、清彦は居心地が悪くなるだけだった。なので、この閉塞感を打破しようと実は自分も野球部であったことを言い出そうとしたのだが、その気持ちはさらに勢いを増していく女子トークに圧倒されてしまっていた。良彦などすっかり顔を赤くして、テンションの高ぶりをあらわにしている。
「ねぇ、ねぇ、私の初恋の人の話していい?ねぇ、いい?」
良彦は持っていた缶を飲み干すと、潤んだ目を細めて、足を片手で抱くよう持ち上げると、椅子の背凭れにしなだれかかった。足まで桜のように色づいている。
「あのね、ずっと、小さかった頃に、その人と一緒に遊んでたらなんか心がぽかぽかしてきてね。多分それが恋だと思うな。うん、あれは恋だった。それで、その事は伝えられなかったんだけどさ。だって、相手は男の人だったし、年も随分離れてたし」
と言いながら、良彦の体は徐々に傾いてきた。清彦は自分が傾いているのかと錯覚したが、良彦が急にテーブルに突っ伏したのでびっくりして椅子から立ち上がった。
「あれ、この子、お酒飲んじゃってる」
七海が良彦の握り締めている缶を取り上げてみんなに見せた。そして、初江と機嫌良さそうに笑い合ったが、清彦は笑えなかった。きっと、自分で飲み物を取りに行った時に、きっとそれがアルコール入りだと分かった上でこのカクテルを選んだのだろう。同じ様なノンアルコールカクテルがあったのですっかり気が付かなかった。良彦はすっかり目を閉じて、まるで反応しないまま微かな吐息を出していた。その顔はどうも機嫌がよさそうであるが、揺らしても頬を押しても反応してくれない事に清彦のほうは困っていた。
「なんだかんだ言っても、酒が弱いのは父親譲りだな。たく仕方のないやつだ」
彼は甥の体をテーブルから離すように椅子を引くと、そのまま足に手を入れて、肩を支えるようにして体を抱えて持ち上げた。思いのほか軽かった。初江の「お姫様抱っこだ」なんて言葉と抱き上げた時に落ちたウィッグは無視して、仕方なく自分のベッドに良彦を横にさせた。
アポロが心配そうに一緒に部屋に入ってきて、良彦の顔のあたりで丸くなった。こいつは自分のベッドがあるのに、俺とも一緒に寝ないのに、まったく。そう清彦は思いながらも何故か笑みが浮かんだ。
「たく、寝顔は一丁前に可愛いんだからよ。おやすみ」
そう呟くと、清彦はすっかりシーツにくるまれた甥に肩をすくませながら、頭を搔いて寝室の扉を閉めた。
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