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第3回 処女作と、それを余命わずかの祖母に読んでもらった時の話

結婚してから2年が経ち、最近よくお嫁様が「あなたってほんと変人」と笑いながら言ってくるようになった。

もともと、お嫁様は付き合う前から、私のことを変わり者だと勘付いていたようであるが、一緒に2年間も生活することで、疑念は確信に変わったのだろう。そんな、どうやら変人らしい自分は、大学卒業後、確かに一般社会に溶け込むのにだいぶ時間がかかっていたものだ。

遡ること16年前。

社会人になりたての私は、理不尽な出来事が次から次へと襲いかかってくる中で、すっかり心が参ってしまっていた。

「このままサラリーマン人生を送るのか?」

そう考えるとゾッとするものがあった。

何かしないといけない。何をすべきか。

悩み苦しんだ末に出した結論は、「よし、小説家を目指そう!」だった。

小説家になる夢は中学生の頃から抱いていた。けれども、真似事のように文章を書いては放り出し、書いては放り出し、を繰り返していて、実際に作品として形になったものは一つも無かった。今度こそ何か一つ書き上げて、どこかの文学賞に応募してみよう、と考えたのである。

だけど、当時の私は考えが幼かった。プロの小説家になる、ということがどういうことなのか、そのための登竜門はどこにあるのか、何もわかっていなかったし、調べようともしなかった。

そうして選んだのが、「伊豆文学賞」という地方の文学賞だった。

伊豆には縁があって、幼い頃から何度も行っている。これまで何十回行ったのか、数えることが不可能なくらいだ。そんな自分だから、伊豆にまつわる物語を書くことには自信があり、応募してみようと思った。

四百字詰原稿用紙で56枚ほどの物語。今でこそ、集中して取り組めばその日の内に仕上がる程度の分量ではあるけど、書き慣れていない私は、ウンウンと苦しみながら、少しずつ文章を紡いでいった。

そんなある日、信じがたい報せが飛び込んできた。

「おばあちゃんの余命が、あと数ヶ月だって……」

祖母は、ガンを抱えていた。だけど発見が遅れてしまったため、見つかった時にはもう手遅れな状態だったのだ。

母からそう教えられた時、焦りを感じた。

末っ子で誕生した長男、ということもあるのだろう、祖母にはかなり可愛がってもらっていた。祖母は頭のいい人だったので、よく祖母の家に行っては英語を教えてもらい、勉強が終わった後は温かい紅茶を飲みながら、色々なことを語り合ったりした。私の他愛もない空想話に、祖母はニコニコしながら付き合ってくれていた。

そんな祖母のことを、私はとても慕っていた。

自分がプロの小説家としてデビューしたという報告を、何としても、祖母が生きているうちに届けたかった。

一気に筆が進み始めた。

時には「今回は諦めようか……」と弱気になりそうなのを、「まずは作品を仕上げないことには何も始まらない!」と奮い立たせて、会社から帰った後、寝る時間も惜しんで、書いては消して、書き直して、を繰り返していった。

そして、文学賞の締切日当日ギリギリになって、ついに、人生で初めての小説作品が完成した。

タイトルは『蛇の姫』。社会の荒波に揉まれて心を病んだ青年が、伊豆へと療養にやって来て、そこで不思議な体験をする、という物語だ。

「出来た! 出来た! これが僕の処女作だ!」

何度読み返しても、この作品は面白いと感じた。よく出来ている、と思った。伊豆文学賞で大賞をとることは間違い無しだと信じていた。

24時間やっている郵便局まで、自転車を勢いよく走らせた。10月の夜風が心地良かった。夜の闇を掻き消すほどに、世界が輝いて見えた。

郵便局で原稿を出した後、家に戻った私は、ベッドに横たわりながら興奮で鼻息を荒くしていた。

だけど、次第に気持ちが落ち着いてくる中で、残酷な現実を見つめ直さざるを得なかった。

伊豆文学賞の結果が出るのは、年が明けてからになる。しかし、祖母の命は、年を越すまではもたない、という見込みだった。

受賞したことを知ってから、祖母には最期を迎えてほしかった。でも、自分にはどうすることも出来ない。

仕方がないので、完成稿をあらためてプリントアウトして、祖母のもとへと持っていった。

末期を迎えるために我が家の中にあてがわれた、祖母の部屋へと入ると、祖母は窓際の椅子に座って、木の枝に止まっている小鳥のことをジッと見つめているところだった。

英国の老婦人のような佇まいの祖母は、私が入ってきたことに気が付くと、振り返りながら優しくほほ笑んだ。

「小鳥がああやって元気に動いているのが、たまらなく愛しく感じるの」

私はこみ上げてくる感情をこらえつつ、祖母に『蛇の姫』の完成稿を手渡した。

「ありがとう。読むのが楽しみだわ」

祖母はそう言って、大事そうに、原稿を抱き寄せた。

しばらく時間が経ってから、また祖母の部屋を訪ねてみた。祖母はベッドに横たわり、静かに休んでいるところだった。

「読んだわよ」

優しい笑みを浮かべる祖母。

自分の作品に絶対の自信を持っていた私は、きっと祖母は大絶賛してくれるだろう、と思いながら、感想を語り出すのをウズウズと待っていた。

ところが、祖母の口から出たのは、意外な言葉だった。

「あなたらしい優しい作品ね。でも、毒が足りない」

「へ!?」

余命わずかの祖母の口から、まさか「毒」という単語が出てくるとは思ってもいなかった私は、思わず問い返した。

「賞を狙うのだったら、毒が必要。審査する人達に訴えかける強さの毒が無いと、印象に残らない。優しい作品だけど、そこが足りないわね」

呆気に取られていた。

そして、自分の頭を殴りたい気分だった。

よく考えたら、今回の作品は初めて書き上げた第一作目だ。出来がいいはずがない。それなのに、高い評価をつけてくれるだろう、と甘えた根性で原稿を渡した自分の情けなさが、とても恥ずかしかった。

ここで満足しているようだったら、とてもプロになんてなれるわけがない。自分がやりたいのは、ただ作品を作り上げることではなく、人がお金を払ってでも読みたいと思えるような面白い小説を書き上げることなのだ。

まだまだ、スタート地点に立ったばかりではないか。

「ありがとう。”次”はもうちょっと毒を入れてみるよ」

アドバイスを受け止めた私の返事に対して、祖母は楽しげに笑みを浮かべていた。まるで”次”の原稿を心待ちにしているかのような笑顔だった。

☆ ☆ ☆

結局、伊豆文学賞は落選した。

その結果を祖母は知ることなく、あの世へと旅立っていった。

ただ、おそらく祖母には見えていたのだと思う。私が落選する未来が。だからこそ甘やかすことなく、厳しく、そして的確に、当時の自分に足りていなかったものを指摘してくれたのだろう。

『蛇の姫』に対するアドバイスは、祖母からの最後の贈り物だった。

祖母から突きつけられた「毒」という課題を常に意識し続けることで、書く度に作品のクオリティは上がっていった。

こうして、『蛇の姫』から8年の歳月を要したけれども、第19回電撃小説大賞の3次選考通過、4次選考落ちとなったところで、電撃文庫編集部より「うちで書いてみませんか?」と電話を受け、ついに商業デビューを果たしたのである。

もし、あの世にいる祖母の声が聞こえるのなら、今はなんと言ってるのだろうか。何が自分には足りないと言っているのだろうか。

それとも、二度や三度失敗したくらいで心折れてしまった自分に対して、喝を入れているのだろうか。

とにかく、これからも書いていくしかない。書いて、書いて、成長する。そうやって出来上がった会心の一作を祖母の墓前に置いて、今度こそ祖母に、感嘆のため息とともにこう言わせてみたい。

「とても面白かったわ」

と。


逢巳


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