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2021.12.05 酒に明るい人間になりたいと思った。

昼ごろに近所のコンビニに買い物に行った。たばこがほしかったのだが、他にも何か買おうと店内を散策していた。これはいつもそうなのだけれど、買うものがひとつしかないときは会計をするのが億劫になる。コンビニに限らず、本屋などでもほしい本が一冊しかない場合は、結局買わずじまいになってしまうことが多い。なので何かほしいものはないかなと探していた。先週あたりにエクレアを買って、それをネスカフェゴールドブレンドと一緒に食べたらとても幸せな気分になったのでまたやろうかとスイーツの陳列棚の前まで行ったけれど、それほど甘いものを求めてはいなかったからやめた。

最近アサヒスーパードライを四本ばかりもらって、それを夕食と一緒に飲んでいた。生来のけちくささで僕はビールというものを買わない。居酒屋で飲むビールは居酒屋の雰囲気におされてしまったり会話に集中して正直味の細かなことはわからない。同じ種類のビールしか提供されていないところがほとんどでもあるから、何の銘柄が自分にあっているかということがわからないまま年ばかり重ねてきた。しかしもらったアサヒスーパードライを自宅でゆっくり飲んでいると、そのすっきりとした味が体によくなじむように感じた。もしかしたら僕のいちばん好きなビールはアサヒスーパードライなのかもしれない。もらったアサヒスーパードライはすぐになくなってしまったので、ビールは高くて手がだせないが何か酒でも買おうかとウォークイン冷蔵庫の前まで行ったけれど、別に酒を飲みたい気分でもなかったからやめた。ポテトチップスはどうかと菓子売り場まで行ったけれど、それもやめた。結局たばこだけ購入した。

夕食時になって、白菜と豚肉を醤油と創味シャンタンとしょうがチューブのしょうがで煮込んだものをつくった。僕は基本的に夕食は同じものしかつくらない。味付けに関してもほとんど同じだ。基本形は前述で、白菜がもやしになることもあるし豚肉が鶏肉になることもある。あるいは白菜がもやしになって、かつ豚肉が鶏肉になる。それしか食べていない。しかし完成したあとにゴーダチーズとモッツァレラチーズをもらっていてそれが冷凍庫で眠っていることを思い出した。できあがった白菜と豚肉の煮込んだやつに入れてみる。それを食べてみたら、脳に一瞬でチーズがまわって、キマった。チーズは秒で脳にくる。味を濃くつくってしまったからか、すぐに脳は同時に酒を欲してしまった。しかし家に酒はない。数秒悩んで、できあがった料理にラップをかけて昼ごろに訪れたコンビニに駆け込み、プライベートブランドの安い缶チューハイを買って、大急ぎで帰った。食卓に缶チューハイを置いて、いざ、と白菜と豚肉とチーズを煮込んだものをほおばって缶チューハイを飲んだけれど、気分がよくなるどころか悪くなってしまった。いままでも自宅で酒を飲むと、気分が優れなくなることが多かった。酒を飲むときは味というよりもアルコール度数を重視してしまう悪癖があって、いつも安物の酒ばかり買って飲んでいたが、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。あるいは蒸留酒が自分の体にあっていないのかとも考えたが、醸造酒のほうが悪酔いしやすいという話をよく聞くし、きっと安物の酒だからというのが答えなのだろう。酒を飲むにいたったチーズも、二口三口と食べていくと、すぐにその特有のまとわりつく風味に嫌気がさしてしまった。チーズは一瞬で脳に来るが、同時に飽和するのも早い。

酒に明るい人間になりたいと思った。日本酒は何の銘柄がおいしいかとか、数多くあるウイスキーはそれぞれどのような違いがあるかとか、このリキュールはこの飲み方がいちばんおいしいとか、そういうことが詳しい人間。日本酒なんて人生で数えるぐらいしか飲んでないし、ウイスキーも近所のコンビニで安売りしているカティーサークぐらいしか買わない。大学生のころは近所のスーパーで売っていた電気ブランばかりを飲んでいて、酒の趣向にいびつな偏りがある。もっと幅広い知見を持って酒を飲んでいきたい。こう書いていると、今日はじめてそのようなことを考えはじめたように見えるかもしれないけれど、人生で何度も思ったことがある。いまだ無知で居続けるのは、本当は僕は酒に明るい人間になんて別になりたいなんて思っていないからなのかもしれない。人間の意識などに信憑性はなく、無意識にこそ個々人の本質はあるのだとつくづく思うばかり。

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