ぼくらのセンチメンタル信仰

 
おだやかであれ、と、いうのは、くるってしまえ、ということだったし、くるってしまいたい、と、思うことほどやさしくて凡庸なことはない、終わらないものがないかわりにうまれたこと、奇跡だとも絶望だとも思ってやりたくなくて、だから永遠になってしまいたい。
永遠に、きみに干渉していたい、鑑賞されたい、音楽家よりも音楽になりたかった、詩人よりも詩になりたかった、画家よりも絵画になりたかった、恋をするよりも、きみにとって恋そのものでありたかった。
 

何者でもなくていいよときみに言うたびぼくは何者かにならなければと背中の悪魔(なんかよりもっと低俗な信仰でしょう)に爪を立てられる、
かたち、あること、さいわいで、とうとくて、うれしいね、と、微笑むきみのすがたのうしろに天使とか(なんかよりもっと崇高で尊大な馬鹿)がいたとしても、それがなんだっていうの、音楽より、詩より、絵画より、恋より、
ぼくより、
きみに干渉できないなら。




生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。