満月はドーナツのむこう

 
 うちの満月の日のおやつは、手づくりのドーナツときまっている。

 これはだれにもヒミツにしなければならないことなんだけど、お母さんには、魔女の友だちがいるんだ。ふわふわの黒い髪をたずさえた彼女はアリサといって、満月の夜にだけうちに遊びにきてはうれしそうにドーナツをほおばって、ぺらぺらといろんな話をして満足げに帰っていく。
 アリサの話は、いつもおとぎ話みたいに不思議で、お母さんのこもりうたみたいにやさしいので、ぼくは満月の日がすきだった。もちろん、やわらかなはちみつのにおいがするお母さんのドーナツも、まちどおしくってしかたないよ。

 
 その日もきれいな満月で、月の見えるリビングの窓からアリサはやってきた。テーブルの上、しろいお皿に山盛りになっているドーナツを見て顔をほころばせ、おおきな黒いコートのそでから紙袋を取り出した。
「おみやげ、魔女の友達が紅茶屋をはじめたんだ。きっとあんたのドーナツに合うだろうと思ってね」
ありがとう、と受け取ってキッチンへ向かったお母さんが、しばらくして紅茶のにおいと一緒にもどってきた。アリサやお母さんよりもひとまわり小さいぼくのカップからも、ふたりと同じ紅茶のにおいがするのがなんだかうれしい。
 紅茶をひとくちすすったアリサがドーナツに手を伸ばして、いつものようにたわいもない話がはじまった。ぼくがときどき質問をしたり、お母さんがけらけらと笑ったりして、たのしい時間はすこしずつ過ぎていく。
  
「ドーナツって、どうして穴があいてるんだろう」
 ぼくがふとドーナツをもちあげてつぶやくと、お母さんは答えてくれた。
「穴が空いているとね、火が通りやすくなったり、きれいな形にふくらんだりするんだって」
 ふうん、と返事をしてぼんやりドーナツをながめていると、今度はアリサがぼくに質問をする。
「ユウスケは、穴の空いたドーナツがきらいなの?」
「ううん、きらいってわけじゃないよ。お母さんのつくってくれるドーナツはいつもこの形だもの。でも、真ん中までぎゅうっとつまっていた方がたくさん食べられるし、なんだか穴が空いているのってかっこうわるい気がして」
 アリサはぼくをじっと見つめると、突然カップの中の紅茶をみんな飲みほして立ちあがった。
「よし! ユウスケ、今日はわたしと夜の散歩をしよう。いいよな、サユリ」
「ええ、今日は特別。あまり遅くならないようにね」
 お母さんがにっこり笑ってそう言ってすぐ、左手をぐんと引かれたのでぼくは慌てて立ちあがった。アリサはぼくの手を引いたままレースのカーテンをどけて窓を開けると、そのまま、ふわっと空へかけあがった。
「待ってアリサ、ぼくは空なんか飛べないよ!」
「手をつないでいれば大丈夫。ほら、せっかくなんだからまわりを見るといい」
 見慣れた景色がどんどん小さくなっていく。あんなに遠くにあったはずの満月やにぶかった星の光が近くでちかちかと光っていて、夜とは思えないくらいにあかるい。ふわふわと浮くはじめての感覚とその光に夢中になっていると、アリサはゆっくりと止まった。
「ユウスケ、ほら、下を見て」
 言われたとおりに下を向くと、そこにはぼくたちの住む街があった。道を歩くたくさんのおとなの人、立ちならぶ建物や走る乗り物で、人がいきている光。
「上から見たら、こんなにたくさんのひとがいるんだね。星空を見てるみたいに、きらきら光ってる」
「あぁ、わたしもこの景色がすきなんだ。もっときれいなものを見せてあげよう、ユウスケ、このドーナツの穴から人々をのぞいてごらん」
 どこからか取り出したお母さんのドーナツを空いている右手で受けとって、そっとその穴をのぞきこんだ。すると、虫めがねのように人が近く見える。のぞきこんだまま頭をうごかしていろんな人を見ていると、みんな、ちょうど胸の真ん中あたりに穴が空いているのに気づいた。
「見えたかい?」
「アリサ、あの穴はなあに? 大きさも形もちょっとずつちがうけれど、みんな穴が空いてるんだ」
 ぼくはぱっとドーナツを瞳から外してアリサの方を向くと、自分の胸の真ん中をちらりと見ながら聞いた。
「人にはみんなそれぞれ、できないことやよわいところがあったり、さみしかったり傷ついたりすることがあるだろう? それが、あの穴なんだよ。こうして魔法をかけないと見ることのできないものだから、みんな自分にもほかの人にもそんな穴があるって忘れてしまったりするし、自分の穴をいっしょうけんめい隠そうとしたりする。でもね、わたしは、あの穴がとっても大切で、愛おしいもののように思えるんだ」
「……お母さんがおしえてくれた、ドーナツに穴がある意味みたいに?」
「そうだね。みんなあの穴があるから、怒ったりかなしんだりうれしくなったり、だれかにやさしくしたくなったりだれかをすきになったりして、そうやって人と人はかかわりあって生きていくんだって、この魔法を教えてくれた先生は言っていた。わたしたち魔女も、おなじように」
 ぼくはもう一度ドーナツをのぞき直して、今度はアリサの方を見る。アリサの胸にもまあるい穴が見えて、そこからは、きれいな満月がのぞいていた。
「ユウスケ、穴が空いているのは、やっぱりかっこうわるいと思うかい?」
 やさしいアリサの声に、ぼくはぶんぶんと首を横にふった。
「ううん。とってもきれいで、かっこいいんだってわかったよ。もちろん、このドーナツも」
 アリサはぼくの答えににっこりと笑って、帰ろうか、と黒いコートのすそをゆらした。
 
 
「おはよう、ユウスケ」
 つぎの日の朝、目を覚ましてリビングに向かうと、昨日ドーナツが置かれていた木のテーブルに、お母さんが朝ごはんをならべている。ぼくはおはよう、とあいさつを返して席につくと、右手の人さし指とおや指を丸めてわっかをつくって、お母さんの胸のあたりをのぞいてみる。
 もうあの穴は見えなかったけれど、わっかの向こうでは、お母さんのお気に入りのエプロンにつけられた、顔のある満月のワッペンがほほえんでいた。





生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。