おいしいごはんのかくしあじ

 
 
 コンソメスープの中で、膝を抱えて泣くこと。やり場のない怒りが、鶏肉といっしょに卵でとじられること。どうしようもなく冷たかった孤独が、じゃがいもによりそってコトコトと煮込まれていくこと。心からこぼれたマイナスの感情は大きな鍋やフライパンの中にぼたぼたと落ちていって、女ひとりでは到底食べきれない量の料理に混ざる。
 できた料理が素知らぬ顔で食卓に並んで、それが、彼の口の中に運ばれていくのをじっと見ているのが好きだった。もぐもぐと丁寧に咀嚼されて、骨ばった喉が動いて食べ物が飲み込まれていく。
「ごちそうさま」
 落ち着いた声が食事の終わりを告げる。そのうちみんな彼のお腹の中で消化されていくのだと思うと、私の心はやっと、リセットボタンを押したみたいにおだやかになる。

 
 アオイと出会ったのは三ヶ月ほど前で、アオイの友達のツバキくんと私の友達が知り合いだったことがきっかけだった。お互いその友人と歩いているときに街中で偶然会い、流れで飲みに行くことになったのだ。
 にこにこと笑って話している人懐こそうなツバキくんとは正反対に、無表情で料理にもあまり手を付けずお酒ばかり飲んでいた彼のことは、とっつきにくそうな人だな、と思ったくらいで、大した話をすることもなかったので、方向が同じだからと送ってもらった帰り道、その無表情のまま言われたひとことに驚いたのを覚えている。
「なぁ、飯、食わせてくんない?」
「……は?」
 思わず怪訝な顔で聞き返すと、アオイは目線をそらし続ける。
「あー……さっき言ってたじゃん、料理好きだって。食ってみたいなと思って」
 ――あぁ、そういうことね、と心の中で納得して、私はいいよと彼を家へ招き入れた。居酒屋でもほとんど食べていなかった彼が自分の料理に興味があるとは到底思えず、そんなに清純に生きてきたわけでもないからその言葉の意図も家に上げる意味もわかるつもりだった。何より恋人に浮気されて別れたばかりだったので、やけになっていた部分もあるのかもしれない。
 だからまさか、アオイが本当にただただ前日に大量に煮た筑前煮だけを食べて帰るなんて思ってもいなかったし、それから毎週のようにこうして一緒に夕飯を食べるようになるなんてことも、想像していなかった。
 今もアオイの考えていることはよくわからない。私に気があるとは思えないし、よっぽどお金に困ってお腹が空いているとかそんな感じでもないし、まぁなんとなく私の料理が口に合ったのだろうと、深く考えるのはやめた。疑問を口に出して、この関係が終わってしまうのは嫌だった。
 アオイにみんなみんな食べてもらわないと、私は自分の感情の行き場に困ってしまう。今までのように余った料理を毎日少しずつ消費していても、この身体では上手に消化できずに腹の中でもやもやと滞留し続けていくだけのような気がするのだ。事実、アオイが来るようになってからは、何かあるたびにキッチンにこもっていた癖は彼から連絡があった曜日だけに減っている。
 私は、自分のストレス解消にアオイを利用しているのだ。だからアオイが何を思っているかなど、知りたくもない。

 

「で?どうなの、シオリさんとは」
「どうって、どうもこうもないだろ。相変わらずメシ食わせてもらってるよ」
 へぇ、と、目の前の男は端正な顔に垂れた金色の髪を払った。
「いっそ同棲でもしちゃえば?」
「何言ってんだよ。そもそも付き合ってるわけじゃないの、知ってるだろ」
「いいじゃん、毎日食い放題だよ」
「あのクオリティの料理が毎晩出てくるとは思えないね」
「まぁ、毎週じっくりじっくり作ってくれるから美味いんだろうなぁ」
 何が楽しいのかけらけらと笑う男のポケットから煙草を奪って火をつけた。そんなおれを気にもとめず料理を運んできた女ににこやかにお礼を言うと、箸で切られたトマトを持ち上げてそいつは言う。

「しかし悪魔ってのは難儀なもんだね。人間の感情でしか腹が膨れない上に、偏食家だらけ。お前に至っては負の感情……それも自分には向けられていないものじゃないと味がしない、愛情は不味くて食えたもんじゃない、なんてゼータク者だよ」
「おれだって迷惑してるんだよ、こんな体質。他の奴らみたいに感情だけ食って生きられるならまだしも」
「ハーフには特異なやつも多いが、お前は特に人間の血が濃いからなぁ。人間の食事をとらなきゃ栄養にはならない、けど味のしない飯はキツイ。ほんとシオリさんみたいにストレス解消に料理するような人間がいて良かったなぁ、感謝しろよ、アオイ」
 ツバキ、なんてお似合いの綺麗な名前をつけられたこの軽薄な男は、悪魔相手に何でも屋なんて商売をするようなとんでもない人間で、なんでも本業は力のある呪術師らしい。おれの体質を気の毒に思った親父の依頼でかれこれ五年ほど世話になっていて、どんな方法を使っているのか知らないが、今回のように都合の良い人間を見繕っては偶然を装いおれと引き合わせる。
「悪魔特有のフェロモンもあるし、大体の人間はすぐにお前に好意を持つのに、本当、変わってんなシオリさん」
「あの人、それこそガラス玉みたいな目でメシ作ってるし。よっぽど溜め込んでて、残飯処理係くらいにしか思ってないんじゃないの」
「へぇ。……ちなみにさ、お前が先に相手に好意を持った場合はどうなの?」
「知らねぇよ、向こうの感情に影響がなきゃ関係ないんじゃないの」
「ふぅん。好意を返されたらその子の料理は不味くなるし、残念ながら人間とは恋愛できないね」
「余計なお世話」
「シオリさんの孤独が癒えるのが先か、シオリさんがお前に惚れるのが先か。今回はいつまで持つかねぇ」

 あぁそれとも、お前がシオリさんに惚れるのが先かな。
 そう続けられた言葉に、鋭い目でツバキを睨む。おれより余程悪魔のような顔でにやにやと笑うこいつがいなきゃ、飯にありつくにも苦労する自分が腹立たしかった。








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