「水曜日」

 ふと、あなたの顔が浮かんできました。あなたに会える(といっても、名も知らぬ他人同士ですから顔をお見かけするというほうが正しいでしょう。しかし、会える、と言わせてください)のは、水曜日の朝のバス。ずっと僕は春休みだったので今日、久しぶりに会えました。なのに意地悪ですね。いつものように、あなたは顔色一つ変えずに(あたりまえですが)、僕の目の前を通り過ぎ、いつものように、一番奥にすわってしまいました。僕が休みの間に通勤時間が変わったのではないか、まだ同じバスに乗れるのだろうか、休み前に会ったが最後で二度と会えないのではないか、と気を揉んでいたというのに。
 偶然、ごくたまにですけど、席が隣になるっていうものならもう心臓の鼓動が聞こえ、体は震えて。その様子を誰にも気づかれないように必死でした。そんなこととは露知らず、あなたはいつも疲れた様子で、背もたれに体を預け、眠ってしまうのです。
 あなたのことで、僕が知っていることといったら乗る停留所と、降りる停留所、本当にそれだけ。名前も声も知りません。
 朝、乗るところは一緒です。いつも僕が先に乗って、あなたを待ちます。出発時刻が近づいて「今日は来ないのかも」と僕を心配させるのが、あなたはお気に入りなようです。けれども、頃合いを見計らってギリギリに、でも、まったく焦らず乗ってきて、僕をほっとさせます。僕はあなたの気持ちがわかりませんが、あなたは僕の心を見透かしているようにしか思えません。
 車内ではただ緊張するのみ。それは、あなたのせいであり、あなたのおかげでもあります。あなたに見られることがあるかもしれない一瞬、その僅かにさえ、だらしのない姿は見せられません。家でどんなにだらしの無い格好をしていても、水曜日のあのバスに乗る日だけは、鏡の前に何度も立って仕度時間に倍を費やして、出掛けるのです。
 降りるところが近づくにつれて、正確に言うと、あの信号を曲がって病院を過ぎたあたりから、だんだんと寂しくなっていきます。あなたが降りる停留所の前で、誰かがボタンを押したのち十数秒であなたは降りていきます。そして、僕は思うのです。今日も、何も起こらないのだ、と。
 けれども、いいのです。あなたに会える。バスに揺られるあなたの寝顔を、横目に見る。今はそれだけで幸せなのです。そのうえ、こうやってあなたのことを考えているだけで、――普段は「死んでる」と人から形容される――顔が緩むのです。
 この先の未来を二つに分けて天秤にかけたら、期待より不安の方が重いみたいで僕は胃を痛めています。「あなたに会えない」とばかり言って何もしないでいる。でも、伝えられない。きっかけがあれば、なんて思っても、受け入れてもらえなかった時の事を考えると、進めません。
 バスで一緒になるという縁が自然に切れてあきらめられるようになるまで、きっと終わらないのでしょう。

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