「ドレスは燃えている」

「僕は緋色が一等好きなんだ」
 そんな謎めいた、不思議な短い言葉をあなたは発した。
 まどろむ眠たげな眼差し、暗く物憂げな声。けれども、夢を語るようなほがらかな面持ちで。
 天は灰色の雲が色濃く占める。
 漆黒の羽で飛び交うカラス。静寂をかき乱し鳴くハト。街が起き出す時間帯。
 ここに、ふたりきり。ベッドの上、一睡もしないで寄り添った。部屋の中はたったひとつ、白熱灯のオレンジの明かりで小さく照らされていた。
 困った。
 あの日、あなたの望みは何でも叶えると約束したというのに。それがわたしにできるすべてだというのに。
 あなたが菜の花畑を見たいと言えば、春の淀川の土手まで手を引き、連れて行った。
 あなたが薫る百合に包まれたいと言えば、白百合を百本以上も束ねて買ってきて、香りにむせ返る空間に招待した。
 今度だって、必ずあなたの願いを形にする。
 戸惑うわたしから目を逸らし、あなたは窓の外を眺めていた。緋色とは程遠い、昨夜から深く積もった銀世界。
 わたしは覚悟を決めた。
 うなずいてからそっと目を閉じ、机の上のペン立てに刺さったカッターを取り出して、刃を伸ばすと手首を切ってみせた。
 あなたは笑う。からからと。面白くてしょうがないといったふうに。
 それから、わたしの手を、ガラス細工を扱うように取って、目を細め、滴り落ちる血液に見入る。首を傾げ、角度を変えて、その様をためつすがめつした。
 ひとしずく、ひとしずくが白い床に水玉模様を描く。
 できていくグロテスクな絵画に、思わずわたしは失神してしまいそうだった。いけない。気を保って。
 しばらくして、血の流れの勢いが収まったのを見計らって、あなたはわたしの傷跡を淫靡な音を出して舐める。
 長い睫毛の下、薄茶の瞳は明るく鮮やかに輝いていた。
 あなたの足のつま先から脳に至るまで快感が駆け巡る。わたしにはそれが手に取るようにわかった。
 しかし、憑き物が落ちたように、一瞬で覚めた表情に戻る。どこまでも冷酷な視線がわたしを貫いた。
 緋色がまだ足りない。直感したわたしは手が震え始め、次第にそれが全身に伝わっていった。
 わたしにできるすべてをしなければ。
 あなたのために今、やらなくちゃ。
 ふたりの関係が壊れてしまう。
 喉元に刃を当てて、掻き切る。
 吹き出る鮮血。
 薄れゆく意識の中で、あなたはやさしく微笑んでいた。
 それは今までに見たことのない愛情に満ちた笑顔だった。

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