「あまいくつ」

 ピンヒール、ロングブーツ、サンダル、スニーカー、ミュール、果てはロッキンホース等々。靴に種類はいろいろあるけれども、その中でもわたしはバレエシューズが一等好き。
 お店の棚にずらりと並べられている、色とりどりの、丸いつま先のぺたんこのあの靴たちを見ると、うっとりする。ちょこんと小さいリボンが付いているとなおいいかな。光るM&M'sチョコレート、若しくは、虹色のゼリービーンズみたいで、ひとつひとつ手のひらに乗せて輝きを楽しむと、舌にその味が伝わってくるよう。
 あゝ。その瞬間、いつも思わずため息が出る。そのときのわたしの表情は相当だらしないくてみっともないから、人には見せられないだろう。口が開いて、よだれを垂らしそうな勢い。
 ただし、バレエシューズと言っても、バレエに使う本物のじゃなくて、正確には外履き用のバレエシューズ風のパンプスのことだからご注意を。
 幼いころ、確か記憶では小学校に上がる前、友だちの家に行ったとき、バレエ教室に通う彼女が見せびらかすように(実際、見せびらかしていたのだと思う)履いているのが心底うらやましかった。いいなあ、わたしも履きたいなあって。
 わたしの家では、習い事といったら実用的なそろばんや習字しかやらせてもらえなかった。ちっとも女の子らしくなくて嫌だった。だから、母親にお願いした。「わたしも女の子らしく、バレエを習いたい」って。本当の理由はあのあこがれのバレエシューズを履きたかっただけ。でも、ダメだった。「バレエなんて、将来、何の役にも立たないでしょう」と、取り付く島がなかった。父親にも言ってみた。「お母さんの言うとおりだ」と、こちらもダメ。そのときからずっとバレエシューズへの思いは消えたことがない。
 大人になって働いて自分で買えるだけの財力がついても、買えやしない。昔からの渇きを潤すように、ただお店に陳列されているのを見つめて心を癒している。
 というのも、わたしは背が低いくせに足ばかり大きくて(25.5センチメートル!)、サイズの合うかわいいバレエシューズが滅多に見つからないのだ。それに、もし入るのがあって試し履きをしても、このわたしにはかわいいものが似合わないし……。
 そう。なによりわたしに履かれたら、靴のほうがかわいそうだと思っちゃう。だから、街に出かけるたびにお気に入りのお店に置かれたものをためつすがめつ観察して癒しをもらっている。これが似合う女の子になりたいな、なんて思ったことは数限りない。
 たまに昔から仲の良い友だちと一緒にショッピングに行って、靴選びに付き合ってもらうことがある。そんなときに、勇気を出してバレエシューズを履いてみて、でも、「似合わないよね」なんて言うと、「そんなことないよ」、「似合ってるよ」と言ってもらえるけれども、お世辞だとしか受け取れない。卑屈な性格のわたし。きっとその精神によってバレエシューズのほうからわたしを拒んでいるのだ。
「かわいい人にしか履いてもらいたくありません」。
 靴がそう主張している気がしてならなず、落ち着かない。
 でも、バレエシューズは天使みたいにやさしい子だから、そんなことはきっと口にしない。わたしが一方的にいじけているのだ。
 いつも飾られた靴に挨拶するだけで、連れては帰れない。喜びに溢れるほんのわずかな短い出会いのあとには、悲しい別れが待っている。
「はじめまして」
 お店をのぞいてみたら、今日も新しいバレエシューズが仲間入りしている。赤い赤い、あまいくつ。彼女は嬉しそうに笑っていた。張り切る新人のように初々しい。つられてわたしも顔がほころぶ。
 でもね、ごめんね。あなたとは一緒には居られないんだ。
「さようなら」
 どうか似合う人の足元へ行ってね。

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