「赤い動機」

 夕方、いつも世話をしている、狭い庭に咲く、大切に育てた薔薇たちの中で一輪が欠けていることに男は気が付いた。何者かに手折られたに違いない。刹那に男の目は血走った。
 男は視野がひどく狭かった。ところが、怒りの矛先は犯人へと向かわなかった。やぶれかぶれになって誰でもいいから殺してやろうと思った。稀代の殺人犯になって名を残してやる。
 ただ、そうしたとき、犯罪者となった自分の両親が不憫でならないと思った男は、まず先に両親を殺すことにした。だが、その前にやることがある。
 ありったけのお金を口座から引き出してDiorに向かい、ジャケット、スラックス、シャツ、ネクタイ、ベルト、そして、ブーツを買って揃えてその場で着替えて身を固め、万全の盛装をし、家に帰る。
 夜、寝室で眠っている両親を、包丁で次々に殺した。死に顔は醜かったので、一瞥しただけで部屋を去った。
 血まみれになった男は、はたと気付く。近所に住む姉の一家にも迷惑がかかる。すぐに姉の家に駆けつけた男は、窓ガラスを割って家に侵入し、姉と義兄、その子らをぐさりと刺していく。服はいよいよ血に染まりきり、赤黒い。
 そこで、また気が付く。今度は隣の市に住む祖母に迷惑がかかる。男は運転免許がないので、自転車を目一杯漕いで、祖母の住む土地に向かう。ちょうど老人にありがちな早起きしていた祖母に軒先で鉢合わせた。挨拶をもらう前にあっという間にめった刺し。一仕事終えた男は朝焼けを背にしてタバコを吸った。
 さてさて、男にはまだある思いが浮かんだ。会社にも迷惑がかかる、と。そこで人目を避けながら自転車で会社に行き、最初に目に入った、椅子にかけていた上司を殺した。
 しかし、いよいよそこで周りに取り押されとうとう捕まった。
 警察に連行された男は、「むしゃくしゃしてやった」、「誰でもよかった」という常套句を吐いた。どうせ薔薇の美を解さない下賎な野郎に、自分の犯行動機を理解される筈もないと思ったからだった。だが、取調べの警察官は納得しなかった。親族や上司という身近な人ばかり連続で殺しておいて、怨恨がないとは信じなかった。
「恨みがあったんだろう?」
 そう尋ねたが、男の答えは変わらず壊れた機械のように同じ言葉を繰り返したのみ。反省の色は一つも見せずに。
 当然、男は死刑が言い渡された。

「最後に言うことはないか?」
 断頭台に上がった男は、目に涙を溜めて謝罪の言葉を吐いた。
「薔薇に謝りたい。ひとりぼっちにさせてすまない」

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