「青い瞳」

 ほんの数分ほどの通り雨が去ったあと、色濃く濡れたアスファルトは翼を広げたカラスの模様を描いていた。
 濁った川のほとり、古い教会の屋根の上の十字架は西日に照らされ、輝いていた。
 丈の短い、薄い生地の、黒いプリーツスカートから少女の白い脚が伸びている。サンダルも履かずに裸足で大地を踏みしめて、地面にできた染みを影で隠さないように仁王立ちをしていた。額には玉の汗が複数、浮かんでいる。少女は瞬きもしない。長い睫毛にかかっても気にする様子もなく、拭おうともしない。やがて、水滴は透き通るような、毛穴のない、きめ細かい肌を滑り頬を伝って滴り落ちる。
 ときおり吹く風はやさしく、彼女の少し湿った薄茶の髪をさらさらと揺らしていた。絹のようなそれは艶々とした光を帯びている。シャンプーの甘い花の残り香が辺りに漂っている。「優雅」の二文字がよく似合う。
 のんきに歩いてきた猫が少女の前で立ち止まって不思議そうな目をして見つめた。鼻をひくひくさせながら、彼女の周りをくるりと一回り。やがて、興味をなくすと勢いよく駆けて、消えていった。
 今度はランダムに舞い踊る白い小さな蝶が飛来して、少女の髪に留まり、羽を休める。さながら、髪飾り。この間も少女はじっとして動かない。二、三度羽で彼女を扇ぐ。しかし、ほどなくして蝶は次の居場所を求め、飛び立っていく。
 陽がいよいよその姿を建物の群れに隠し、半分だけ顔を残して光を放っている。斜陽が灰色の雲の隙間を縫うように黄金色で塗りつぶす。
 少女の背丈は一メートルに遠く及ばない。一般的に考えてひとりで出歩く歳ではない。もう帰る時間だろうに、少女は相変わらず立ち尽くす。何かを待つようにして。
 太陽の最後の曲線が沈んだ。次は月明かりの時間。三日月とも半月ともとれぬ、中途半端な形の白んだ月が存在感を増した。今夜はまた一段と大きい。
 少女の青い瞳の奥には光がない。どこを見るわけでもなく、まっすぐ前を向いていた。視線の先にあるのはコンクリートの電信柱。怪物のように大きく立ちはだかる。
 犬に散歩をさせている婦人が通りすがり少女に目をやったが、別段何も思わず、違和も感じず、過ぎ去っていった。
 少女に付けられた名はレイラ。彼女の胸の中は空っぽだった。心も空っぽ。中身がなくて世界を受け止められるわけがない。その瞳は何も映さない。その耳に何も届かない。
 レイラは捨てられた人形なのだから。

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