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作品に対して批判するんじゃなくて自分の気持ちを言える世界のほうが楽な気がする

なんとなく思いついたことを書いてみたいと思います。

なんらかの創作活動をしてると、どうしてもどこかで「批判」を受けることになります。
それはそこそこしょうがないんだけど、公に誰かの創作物を批判することって、全体としてあんまり幸せなことにならないかもしれないなーって思ったんですね。

特に日本では。

日本ではっていうのは、日本はやっぱり「同調意識」が強い地域なので(それが良いとか悪いとか言いたいわけではないです)、誰かの否定的な意見が公にさらされた時、「私はいいと思う」っていうのを言いにくくなるんじゃないかなって思うんです。

創作物に対する批判って、特に現代アートだととても難しくて、おいそれと口にできることじゃないなって私は思っています。その作品、作家を丁寧に追ってないと的確な批判(批評)ってできるものじゃないなって最近は思っているのですが。

たとえば、

色がきれいじゃない
構図が良くない
デッサンができてない
コンセプトが伝わってない

みたいなことは簡単に言いやすい批評なわけですが。

否定している側は、作家が何を考えてどういう段階のものとしてそれを出しているかが分かって言ってるかっていったらたぶん、ほとんどそこまで考えてないと思うんですね。

一目会っただけの人のことを語るなんて不可能なように、一瞬触れただけの創作物について的確な否定をできる人なんていないと思うんです。好き嫌いとしてなら言えるでしょうが、それであるなら言葉の選択は「好き」「嫌い」が伝わるものになるはずです。

色がきれいじゃない → 色が好みじゃない
構図が良くない → この構図はスキじゃない
デッサンができていない → もっとデッサンができてるやつが好き
コンセプトが伝わらない → コンセプトをもっと分かりたい

書き換えてみて思ったのですが、もしかしたら「相手批判」になってしまうのは、自分の気持ちを語るのが苦手なのかもしれないですね。あるいは、自分が好きなものを否定される「怖れ」みたいなものがあるのかもしれません。

同調しようとするというのは、自分が逸脱したくないからだとすると、自分の好きや嫌いという「嗜好性」が人と違ったらイヤだなっていう気持ちもあるのかもしれません。

誰かと同じなら安心して「私もいいと思っていた」と言える。でも自分の嗜好が人とずれていたらどうでしょう。否定しておけばどっちにでも転がれるけど、好きなものを批判されるのって嫌じゃないですか。恋人や家族に欠点があるのは知っているけど、それを見知らぬ人にとやかく言われると腹が立ちますよね。それとおんなじ感じで。

何かを批判することは、好きを伝えるよりもずっとずっと難しい。批判するということは、同時に相手からの批判に受けて立つことにもなります。「〇〇がダメ」と気軽に批判した後に、それは「こういう意図を分かった上での発言ですか?」と切り返されたとして、それに返答できるのか。

相手の聞こえないところで批判するのは、自分が上になった気になれて気持ちがいいかもしれないけど、それは単に社会を傷つけているだけなのかもしれません。

批判があふれた社会で生きやすくなればいいけれど、自分にとっては生きにくくなると思っています。創ることをまず賛美するような空気があふれる社会だといいな。自分は創ることが好きだし、人の創作物も好きなので、創る人の芽が摘まれない環境ができるといいなと思っています。

反射的に批判したくなるクセは自分にもあるので、自戒をこめて書きました。

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