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「知ってもらえたことはすでに協力なんじゃないかな」の話

「もっと協力してくれる人が増えるといいなって思うんですが」
「見つからない?」
「そうですね。協力は、してくれるのかもしれないんですが、逆に自分も協力しないといけなくなるから、そういう関係だと協力してるっていうより、お互いの力を交換しているだけであんまり意味がないような気がするんです」
 私は老人にそう言ってから炭酸水を口に含んだ。老人はデンマークに住むアートコレクターで、部屋には小さなアート作品がたくさん飾られていた。
「なるほど、たとえば自分の作品を紹介して欲しいとするなら、他の人の作品も紹介したほうがいいってことだよね」
「はい。自分だけ紹介してもらうわけにはいかない気がしちゃいますよね」
「そうだね、でもそういう紹介ってそれほど効果があると思うかい? 人はそれほどバカじゃないからね。本当にいいと思っているのか、義理で紹介してるかなんてその人の言葉を聞けばすぐに分かるはずだろう?」
「本当に、その通りですね」
 アーティストとギャラリストの関係やマンガ家と編集者の関係はとてもいいと私は思っている。同じ目的に向かっていく関係で、うまくいった時に一緒に喜べる。ただ、そこまで一致した協力関係を築ける人とはなかなか出会えるものじゃない。
「自主的に純粋に、作品に強く惹かれて応援してくれる人が増えるといいよね」
「はい。でもどうしたらいいか分からないです。社会貢献になることをすべきなのか。いや、もっとおもしろい作品をつくることが一番なんですけど」
 おもしろい作品をつくる人は世界にたくさんいるし、社会問題に強くフォーカスした作品をつくる人もたくさんいる。魅力的なものはたくさんあって、応援する対象だって自分じゃなくていいんだ。
「なんか、自分がアートをやるようになってから、人を応援することが少なくなった気がします。前は大好きなバスケ観戦を飛行機に乗ってまで見に行ってたこともあったくらいなのに。時間もお金も、誰かの応援のために使っていられなくなったのかもしれないです」
 応援する側の気持ちが、今の自分には分からなくなってしまったのかもしれない、と私は考える。一生懸命さが見える人は応援したくなるかもしれない。でも、一生懸命さなんてちょっと見かけたくらいで分かるものだろうか。その日は頑張ってたけど、その後はまったく何もしてないかもしれないし、それは周りから見ても分からない。そもそも応援してくださいと言ってくる人を応援したいと思うだろうか。頼む前にもうちょっと自分で頑張れよって思うんじゃないだろうか。
 どういう振る舞いをしたら伝わるだろう? 作品から伝わるだろうか。本当に作品だけを見て伝わることなんてあるのだろうか。デンマークのアートプログラムに参加するまでに、あまりにたくさんのバツをつけられて、私にはもう自信がなくなっていた。いろんな人が親切心からいろんなアドバイスをくれて、素直にその通りにやったことのほとんどは、あとになったら意味がないことだった。
「まずは知ってもらうことから目指すといいよ」

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