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「歴史を持てるのが老人の特権で、歴史を始められるのが若者の特権だよ」の話

「若い人を見てるとね、時間をかけられるっていうことに、私は一番うらやましいと感じるんだ」
 老人は紅茶を持ってキッチンから戻ってくるなり、そう言った。私は立ち上がって紅茶を運ぶのを手伝う。彼はデンマークのコペンハーゲンに住むアートコレクターで、部屋には小さなアート作品が壁いっぱい飾られていた。

「急にどうしたんですか?」
 私たちはさっきまで、動物と人間の違いについて話していた。動物は反省するのかどうかって。老人がキッチンに紅茶を淹れに行って、戻ってくるなりそんなことを言いだしたので、私は少し驚いた。
「若い人たちを見ていると時間をかけられることの素晴らしさを感じるんだよ」
「なるほど」
「そう。時間をかけられるっていうのは、若者の特権だよ。結果を急がなくても人生には十分時間がある。私くらいの年になってしまうと、時間をかけて実現するようなことは、もうやれなくなってしまうんだ。人生の終わりが見えているからね。だから、すぐに楽しめることばかりを求めてしまう。始める時から十年かけるつもりのことは、もうとても始められないよ」
 ごはんを食べたり、友人と話したりすることに時間をかけるようになるのは、今この瞬間に楽しめることを選んでしまうからなんだ、と老人は言った。

「そうかぁ、そうですね、言われてみれば」
 私は老人に同意しながらも、結果は早くやってきて欲しいと思っていた。その結果をもって、もっと大きなチャレンジもしていきたい。いいことはいつでも、今すぐに起こって欲しい。
「超大作のSF小説なんて、今の私には書き始められない。新しくピアノを初めて人に聞かせるレベルになろうみたいなことだって難しいよ。スポーツもそうだ。私ができるのは、せいぜいプールの中で歩くくらい。もちろん、チャレンジする人だっているだろうし、六十歳を超えて独学でアートを初めて有名になった人だっている。できないわけじゃない。それでも私はね、何かを始める時に、自分がそれをやりきれるかっていうことを考えてしまうんだ。途中で終わらなくても満足ができるかどうかって。
 私はできないんだ。始めたらちゃんと完結させたい。そういうタイプだから、新しいチャレンジには手を出しにくくなってしまってね」
「そうですね。でも、あなたにはこれまで頑張ってきたことがたくさんあるんじゃないでしょうか」
 私は部屋の中に目を向ける。アート作品が壁の下の方にまで、びっしりと飾られた部屋には、時間の合っていない時計が時刻を刻む音が響いている。
「作品を集めることも。匂いを楽しむことも。それにケーキやお菓子を作って届けてくれる素敵な友人もたくさんいるじゃないですか」

「ありがとう。自分では考えていなかったけど、大して考えもせずにやり始めてたことが、私にとっては大切な時間として積み上がったよ。でもね、もしも若い時の私が、その時にしか楽しめないことばかりをやっていたら、こんなに作品は集まっていなかった」
「ちょっとずつ時間をかけて集めてきたんですね」
「そういうことだ。私にとっては、この作品たちも私の人生の一部みたいになってるんだよ」
 老人は言いながらテーブルの上の紅茶に手を伸ばし、一緒に持ってきたスライスレモンを紅茶の中に入れた。
「意図はしてなかったけど、集め続けていたものが私の歴史になっていた。なくてもいいかもしれない。でも、私にとってはそれがほんの少しの自慢になって、私自身を誇らしく感じているんだ」
「素晴らしいと思いますよ。こんなにいろんな作品があって。あと、作品の背景をきっと全部知っているだろうから」
 老人はうなずいてレモンの入ったまま紅茶を口にする。

「時間をかけて続けてきたことは、それだけで自分の歴史になる。歴史を持てるのが老人の特権で、歴史を始められるのが若者の特権だよ」

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