「誰かを育てる時は本人のなりたい姿を一緒に想像できるといいのかもしれない」の話

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「自分はずっとフリーでやってきたので、誰かに育てられたり誰かを育てたりってすることはなかったんですが。もしも、人を育てる必要が出てきたら、何を意識したらいいと思いますか?」
 老人が新しく淹れてくれた紅茶は、フルーツの甘い香りがした。私は飲む前に香りを大きく吸いこんでから、紅茶を口にする。老人はデンマークに住むアートコレクターで、私は現地で知り合ったアーティストさんの紹介で、彼の家に遊びに来ていた。
 いつの間にか、アートのことじゃなくて、人生の悩みや考え方の話になっている。それでも私は、老人と話すとどこか気持ちが晴れるような気がして、会話を続けていた。

「もしも君が誰かに育てられたいと思ったとして、どんな風に育てられたいと思う?」
「うーん」
 老人に聞かれてみて気づいた。育てられたい気持ちはあっても、誰にでも育てられたいわけじゃない。自分がすごいって思える人や、尊敬できる人以外に指導されても、素直に聞けない気がする。
「どんな風に育てられたいの前に、自分の尊敬する人に育てられたいですね」
「なるほど、じゃあきっと、君が何かを教わる時には、まずは相手との信頼関係が大事っていうことだね」
「そうですね」
「信頼する人の言うことだったら、なんでも素直に聞けそうなのかな?」
「たぶん。なるべく従うような気がします」
 自分より視座が高い人の言うことを黙って聞いているほうが、自分で考えて頑張るよりも早くうまくいくことがある。だから、自分だったら尊敬する人の意見は、そのまま取り入れるような気がする。
「そうか。だとしたら、誰かを育てる前に、育てたい相手から信頼される自分にならないといけないね。まずはそこができているかどうかじゃないかな」
「ああ、その通りですね」
 誰かを育てるなんて、自分にはできなくていいんだ。自分はアーティストだし、自分のことで精いっぱいなんだから。でももしも、人を育てるとしたら、相手からこの人に育てられたいと思ってもらわないといけない。そうじゃないなら、アドバイスのふりをした大きなお世話だ。

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