「強みは自分の弱い部分を救おうとするから生まれるのかもしれない」の話

 継続するのが才能だっていうなら、どうして人はいつまで経っても生きるのがうまくならないんだろう。

 私はデンマークのアートコレクターさんの家に話を聞きに来ていた。老人の家には小さなアート作品がいっぱい飾られていて、どこか心地よい香りが漂っている。おいしいものをいっぱい出してくれるところも私は好きだ。

「やるべきことに向き合い続けて、それでも何も起こらない未来のことを、私は考えてしまうです」
 老人と私は、続けることについて話していた。結果が出なくてもやりたいなら、逃げずに向き合ったほうがいいんじゃないかということ。それでも、やりたいならやめても構わないんだということ。

 いろんな人がいろんなことを言う。私もいろんなことを言う。でもそれはどれも、自分以外の何かに救いを求めているだけかもしれない。

 誰かの言う通りにやっていれば、失敗しても人のせいにできる。

「何も起こらないかどうかは分からないけど、やらなければ起こらない確率は100%だ。やり始めれば、それが100%未満になる。本当にわずかな差だけど、それが人生をおもしろくしてくれるんだと私は思っているよ」
「そうですね」
 私は老人が出してくれた炭酸水を口に含み、舌の上で水が弾けるのを味わいながらゆっくりと飲み込む。老人も同じように炭酸水を飲む。私たちはしばらく黙ったまま、炭酸水を飲み続ける。室内には時間のあっていない時計が時を刻む音が響いていた。

「続けられるのは才能だと聞いたことがあります。実際に、私自身やめたこともすごく多いです。諦めたことについて後悔は全然ない。もう一度チャンスの欠片みたいなものが来たとしても、手を伸ばさないかもしれない」
「なるほど。君にとって、それらはもう自分の一部ではなくなったっていうことかな」
「そうですね。学生の頃だったら頑張ったかもしれない。でも、人生で達成したいことを考えた時、今の自分にはもういいかもしれないという気がしています」
 私は空になったグラスをテーブルに置く。
「いや、そもそも、すでに諦めたことに対してチャンスがくるほど、この世界は優しくないかも」
「ははは。チャンスは諦めていない人にしか見えないものだ。諦めてさえいなければ、どこかにきっと見つけることができるはずさ。私はそう信じたいね」
「実際はそうでなくても信じたいですか?」
「少なくとも、今がそういう世界じゃないなら、そういう世界を君たちに遺したいよ」
 老人は笑って炭酸水を飲み干し、私が置いたグラスの横に空になったグラスを置いた。

「続けるのはすごいですけど、続けているだけではダメなんだっていうのも、なんか今の自分は知ってるかもしれません」
 アートをやっていると、二十年、三十年やっているという人に頻繁に出会う。やればやるほど、続けている人にしか出会わなくなる。自分より高いレベルで、自分よりも長く。しかし、続けることは創る人にとってのゴールなんだろうか。もちろん、そういう人もいるだろう。でも、多くの人は、作品を通じて心動かされる人を増やしたいと思っているんじゃないだろうか。

 習慣化するとか、得意なことをやるとか、好きなことをやるとか、夢中になるとか、強みの上に築けとか、当たり前にできるようになるとか、仮説を立てるとか、検証するとか、リソースを集中させるとか、みんなが勝てるような設計をするとか。

「言葉では分かっていても、できないことがいっぱいあるかも」
 私は老人がいることを忘れて、考えたことをそのまま口に出す。さっき話したことと、会話がつながっていないことに気づいたけど、老人は特に気にしていないようだ。
「続けるなら強みを育てるのがいい」
「はい」
 私はうなずきながら、自分の強みってなんだろうと考えていた。もう何度も考えてきたことだけど、はっきりこれだと言うことができない。
「強みの見つけ方はたぶん、たくさんある。見知らぬ人が褒めてくれることもそうだ。でも、すべての強みは、子どもの頃からもっていたものなんだろうか」
「うーん、あんまりそんな気はしないですけど。私自身、子どもの頃とはぜんぜん性格が違うと思ってますし」
 運動が苦手で保守的で、本ばかり読んでいて、中学時代までは何事も諦めちゃダメだと思っていて、高校になったからは辛かったらすぐ逃げたほうがいいと思うようになった。今の望みは、創りつづける人生を送ること。それだけだ。

「私はね、人の強みは自分の弱さを守ろうとした結果、生まれるものなんじゃないかと思っているよ」

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