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消費行動はクリエイティブになりえるのかを考える

なんとなく、創作と消費って対義語のように扱われることがあるような気がするのですが、消費ってクリエイティブにならないのかなと、ふと思ったので、なんとなく考えたことを書いてみます。

ヨーゼフ・ボイスというアーティストが生み出した概念に「社会彫刻」というのがあります。人はみんな、社会を彫刻するアーティストなんだよー、みたいな感じの概念なんですが(雑)、ではどうやって社会を彫刻してるのかと考えたら、普段の生活、主に「消費行動」なんじゃないかと思ったんです。

自分がお金を払ったものは、お金を払った先に対するYESであり、応援であったりします。消費行動っていうのがある種の意思表示なんですよね。お金は血液みたいなものなので、流れてこなければ廃れていくしかありません。ただ、血液が流れない物は全部、時代に取り残されたのだから滅びればいいっていうわけでもないはずです。

伝統や文化に関する後継者問題の話も聞くことがありますよね。必要がなくなったものは全部なくなれ、というのであれば、この世には「必要とされるもの」しか存在できないことになります。一見、不要なものは本当に不要なのか。人類が歴史の中で生み出してきた文化は、その時代から必要とされるかどうかとはまた別の軸で、人類の歩みを伝えるものとしてとても大事なのだと私は思っています。

ただ、実際に自分が生活していく上で、自分の消費行動についてそこまで意識しているかというと、自分はかなり微妙です。

スーパーに行けば割引のお魚を優先して買いますし、調味料にもそこまでこだわりはありません。ごくわずかに意識的に買うものもありますが、ほとんどはあまり意識せずに買っているんですよね。食材なんて特に。

もしも自分が消費を創造的に行うとしたら、第一歩は自分の消費によって社会がどう変わっていくかという意識を持つことなのかもしれません。

改めて消費と創造の違いは何かを考えてみると、消費はインプット、創造はアウトプットと捉えることもできそうです。創作活動って、なにかを生み出している気がしますよね。自分の外に出している。消費はどちらかというと取り入れる、インプットのイメージがある気がしました。

クリエイティブ活動としての消費を考えるとしたら、消費を自分のアウトプット、意思表示だと意識してみてはどうだろうかと。成果物・創作物としての消費ですね。

何を言ってるのか、ぜんぜんまとまってないのですが、なんとなくそんなことを思いついて書き留めておきたくなったのでメモしておきました。

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