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「比較が悪いわけじゃない、比較する相手を間違ってるんだよ」の話

「誰かと比較される世界から抜け出したいのに、自分から求めて比較の世界に住もうとしちゃってる気がしますね」
 老人から他に何か悩みはあるかと聞かれ、私はそう答える。老人はデンマークに住むアートコレクターで、部屋には小さなアート作品が壁いっぱいに飾られていた。
「比較の世界っていうのは、たとえばどんなことかな?」
「誰かよりうまいとかヘタとか。誰かよりすごいとかすごくないとか。競争がない世界ってこの世界には存在しないんですかね」
 アートは個別の世界であるようでいて、そこには順位だってある。オークションでの高額落札は金額が話題になるし、歴代の取引金額ランキングを調べようとすると、たくさんの記事が検索にかかってくる。
「毎月、最低二回はなんかのアートコンペに応募してるんです。デンマークのレジデンスにもそうしてやっと受かりました。たくさんたくさん出して、ようやく一つ通るかどうかです。ほとんど落ちちゃう。いっつも誰かに負けてばかりなんです」
「そんなに傷つくなら、コンペに出すのをやめることはできないの?」
 老人に聞かれて、私はうまく答えられずにいる。そのとおりだ。コンペに出さずに一人で制作をしていれば、誰とも戦わなくて済むし、傷つかずに済む。

「そうですね。でもたぶん、一人でずっとつくり続けてても、誰も見てくれないし、誰にも気づいてもらえない気がします」
 アートを始めたばかりの頃は、世界中を旅しながら現地の人と一緒にアート制作ができたらいいなと思っていた。地元の産業とまではいかなくても、ささやかな生活の支えになるような。部屋で絵でも描いたとして、もしかしたらそれを誰かが買ってくれるかもしれないけど、それは自分と買ってくれた人以外のためになってるだろうか。
「アートでもっと貢献できたらって思ってたんですけど、自分はまだ貢献なんてできるほどのレベルじゃなくて…」
 世の中には自分よりすごい人たちがたくさんいて。自分がその人たちより優っているところはどこだろう、何かあるのだろうか。
「ほとんどの人は天才じゃないし、優秀でもない。あるいは、今生きているだけで全員優秀だとも言える。ここまで生き延びてきた子孫なわけだからね」
 老人はそう言ってからテーブルに残っていたオリーブをつまむ。
「人は比較しないと、自分が誰でどんな人なのか分からなくなってしまうんだろう。すごい人と比較すれば自分が情けなく感じてしまうし、初心者と比べたところで慰めになんてならないだろう。でも他人と比較するのは間違っているよ」
「それは本当にそうなんですけど、他人との比較ってなかなかやめられないですよね。自分はほとんど自動的に人と比べてダメだなぁって思ってしまいます」
「比較が悪いわけじゃない、比較する相手を間違ってるんだよ」
「比較する相手?」

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