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エストニアのタリンでおばあちゃんから聞いた「大人の学び方」の話

「大人にものを教えるってことはできないのよ。特に私みたいにおばあちゃんになってるとね」

 初めて訪れたエストニアのタリンは、とても美しい町だった。魔術師みたいな黒い石像に、小さな石が並んだ道。細い通りの上には、瓦を並べたような形の細い橋が渡されていて、二か所の見晴らし台からは赤い屋根の町が一望できた。

 事前に調べて行きたいと思っていた職人通りに着くと、そこは陶器や人形など小さなお店が並んだ広場みたいになっていた。店を一つ一つ見回った後、アンティークでいっぱいのレストランでキッシュとコーヒーを頼み、外の席に着く。オープンテラスの椅子には鮮やかな布がかけられ、テーブルの上には花を一輪飾った色とりどりのグラスが置かれていた。

 コーヒーを待っていたら、すぐ近くに座っていたおばあちゃんが話しかけてくる。人がけっこういっぱいだったので、近くの席の人たちと一緒にテーブルを囲んでいるみたいになっていた。丸くて大きい眼鏡に赤い毛糸の帽子のおばあちゃんは、黒髪の私に興味をもったらしい。

「日本から? 一人で旅をしているのね。大変なこととかないの? 寂しくはなぁい?」
 彼女は高くよく通る声で、次々にいろんなことを聞いてくる。好奇心の旺盛さがふくれた頬に出ている感じがした。
「寂しいと感じたことはあんまりないかも。同じことをたまに聞かれるんですけど。人間関係を上手に作るほうが苦手かもしれません」
「そう。どうしてそう思うの?」
「人間は繊細で難しいから」
「あらあら、あなたも人間じゃない」
「傷つけたことがたくさんあるんですよね。身近な人をあまり大事にできなくて。それならもう身近な人を作らないほうがいいのかもとか思っちゃって」
「そうなの」
 おばあちゃんは黙ってコーヒーを飲み始める。彼女と一緒に来ている人たちが彼女に話しかけ、笑いが弾けた。エストニア語なので私には分からないが、彼女が周りの人に愛されているのはよく伝わってきた。

 私は明るい声で話す彼女の様子を見ながら、黙ってキッシュを口に運ぶ。サーモンが間に入っていておいしい。海外だと話せないのがふつうなので、一人で黙っていても寂しさは感じない。日本にいるほうが寂しいと思うかもしれない。日本語が分かる分、日本語の中にうまく入れていないことが明確に分かってしまうから。

「みなさん、仲良しですね」
 おばあちゃんと目が合ったので、私は話しかける。
「あなたも混ざる?」
「いや、大丈夫です。エストニア語が話せないので」
 自分一人のために、会話に気を遣わせるのは好きじゃない。言葉だけでなく、彼らと共通の話題があるような気もしなかったし、みんなが何に笑うのかも分からない。それに私は、ただそこにいるという状態がけっこう好きなのだ。

「そう。なら私と話しましょう。私は英語がペラペラだからね」
 もう七十歳を超えているのだと彼女は言っていたけど、人に何かを押し付けようとしない優しさと包容力が彼女にはあった。人と仲良くする秘訣を聞いたら、私には分からないわ、とだけ言う。
「大人にものを教えるってことはできないのよ。それはね、相手への敬意でもあるし」
「敬意?」
「そう。たとえばエストニアの料理とかなら、私は話してあげられるわ。あなたより知識があるのは当たり前で、それは上から何かを教えるのとはちょっと違うことよね」
「はい」
「でも、アドバイスみたいなことをするのはできないの。やってもいいけど、それは私のためにあんまりやらないでいるわ」
「あなたのため? どうしてですか?」
「私はもうおばあちゃんだから、他の人のことは全員、子どもみたいに見えちゃうのよ。それでついついいろんなことを言いたくなっちゃう。でもね、大人はみんな自立してるでしょう。何かを教えなくてもみぃんな、自分で学んでいくの。子どもの頃は教えたことをただ吸収するけど、大人の学びはそうじゃないのよ」
「つい教えたくなっちゃうの、分かるかも。自分がすごいできるわけでもないのに」
「そうよね。私もそうだったわ。それでね、相手が自立した大人であることをね、ちゃんとリスペクトしてなかったのかもって考えたことがあるの。
 大人は自分で学びたいことだけを吸収するようにできてるでしょう? 人から一方的に教わったことは何も身に着かないわ。分かったような気になるだけ。それに気づいてから、私も教えようとするのはやめたの」
 彼女の枝のような腕に、糸を編んだアクセサリーと木の数珠が巻かれているのを見ながら、私は彼女の言葉にうなずく。聞いてもいないことを教えられた時は、てきとうに流して忘れてしまうだけだ。あるいはちょっと苛立ってしまうかもしれない。誰もそんなこと教えてくれなんて頼んでないのにって。
「今のあなたは、人とすごく仲良くしたいわけじゃなさそうだもの。もしも、本当に仲良くしたい時がきたら、誰かを傷つけてうまくいかなくても、なんとか仲良くできるように頑張ると思うわ。そうじゃないなら今はきっと、もっと別の大事なことがあるんでしょう。そしたら、それを頑張りなさい」
「…はい、そうですね」
 その言葉は私の中に静かに浸透した。彼女は口元を手で押さえながら、おかしそうに笑う。

「あらあら、結局、なんだか教えたみたいになってしまったわ。年を取っても、人ってなかなか変わらないものねぇ」


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