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「見返りは求めない方が大きくなって返ってくるよ」の話

「創ることが当たり前の社会であって欲しい。私はそう願っているけど、なかなか難しいものだ」
「どういうところがですか?」
 私が質問すると、老人は炭酸水をぐっと飲み込んで話を続ける。彼はデンマークに住むアートコレクターで、室内には小さなアート作品をたくさん飾っている。
「まず一つは、創る側がやめてしまうことだね。理由はいろいろだ。他にやりたいことができたから。家族を養わないといけないから。好きな物をたまに創るのと、それを生き方の軸としてやっていくのとでは、まったく意味が違うことなのかもしれない」
 老人に視線を向けられて、私はうなずく。今はもう、創り続けることが当たり前になってしまったから、創作をやめてしまうことが自分には想像がつかない。でももし、創作以外のことで日常の大半が塗りつぶされていて、それで十分幸せだったとしたら、わざわざ創り続けるなんてしないかもしれない。

「創り続ける人生が叶うなら、そのほうが幸せですけど、生きているといろんなことがあるから、しんどい時もありますよね。いいことばっかりあるといいのに」
「ふふ、創り続ける人生に不安になるのも分からなくはないよ。いや、もう今の時代に安定なんていうモノはないのかもしれないけど。もしも創作を続けたいというなら、見返りを求めないことをお勧めするかもしれないね」
「えっ、見返りを求めない? なぜですか?」
 何かを得られるなら多く得られたほうが嬉しいし、何かをしたらその分、対価だって欲しくなる。そもそも、与えてばかりだったら自分が貧しくなる一方だろう。
 私は昔読んだ本を思い出す。ギバーとテイカーについて書かれた本だ。最も裕福な人たちは与える者、ギバーだ。でも同時に、最も貧しくなる人もギバーなのだ。自分の取り分を考えずに与えるだけ与え続けても、自分が疲弊するばかりで、結局誰も幸せにならない。
「自分の行動に対する見返りを求めている時、相手はそれを察しているからだよ」

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