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「人生は急には変わらないからうまくいくんだよ」の話

「アートで生きていくっていうのは、どこの国でも厳しいだろう? 日本ではそんなことはないの?」
 参加しているアートプログラムで会ったアーティストからの紹介で、私はデンマークのコペンハーゲンに住むアートコレクターの家に遊びに来ている。老人は薄く切られたチーズをつまみながら言った。
「いやぁ、厳しいと思いますよ。日本国内の方が厳しいんじゃないでしょうか。分からないですが」
「私はいつも不思議に思ってたことがあるんだよ。私はこうしてアートを集めているから、もちろんアートが好きだ。でも同時に、どうしてアーティストはこんなに厳しい道を自ら選ぶのだろうって思っててね。それを聞いてみたかったんだ」
「ああ、どうなんでしょう。私はもとがアート畑の人じゃないから」
「でも今はアーティストをやっている」
「そうですね」
「やめる気はない?」
「ないです」
「なぜ?」
「なぜ、そうですね…」

 私は、うーん、と声を上げながら、アート作品がたくさん飾られた部屋の中を見渡す。壁中に小さな作品が飾られていて、どれも全然違う。自分が好きな物もあれば、そうでもないものもある。作品だけ見ても、有名な人なのかどうかは全然分からない。
「君は宝くじを買うタイプ?」
「いいえ」
 私が答えずにいると、老人はさらに質問を重ねる。
「全然買ったことがないのかな?」
「自分で買ったのは、人生で数回だけ。海外にいる時にジョークのつもりで買ったくらいですね」
「なるほど、じゃあ全然買ったことがないんだね。でも、アートをやるっていうのは、宝くじを買うみたいなもんじゃないのかい」
「そうかもしれないですね。あんまり考えたことがなかったですが。アートはやればやるほど、うまくいく確率はたぶん上がるから、宝くじとは比較できない気はしますけど」
「そうだね、確かに。とはいえ、それでもかなり大きな賭けであることは確かだろう?」
「はい」
 私が黙っていると、老人はチーズに手を伸ばして片手で軽く折りたたむ。

「アートをやる人は、やらないと生きていけないんじゃないかなって思うんですよね。だから、自分が生きつづけるためにやってるっていうのが近いかもしれません。全員とは言わないですが、私はそうです」
「生きるためか、なるほど。それなら状況がどうであれ、やめられないのは分かる」
 改めて聞かれると、自分がアートという道を選んだことに、あまり不安を感じていないことに驚く。宝くじを買うのは正直、好きじゃない。なのに、宝くじに当たるよりも確率が低そうなことを、なぜやり続けようとするのだろう。

「一攫千金みたいなものへの憧れは、多くの人が持ってると思うんだ。成功者のニュースは大々的に報じられるからね。七十億人の人類のうち、数えきれるほどの人しか大成功なんてしないだろう。それでも、そういう人たちのことは多く耳に届く。だからまるで、世の中はそういう成功であふれているような気がしてしまうのかもしれない」
 老人の言葉を聞いて、言われてみるとその通りだと私は考える。ほとんどの人は普通に働いて生活して老いて死んでいく。歴史に残るかと言われたら分からない。今ならネット上には存在が残ると思うけど、わざわざ探そうとはしない。成功者の存在は、放っておいても繰り返し届き続ける。自分が望んでなくても。
「確かに、うまくいった人の話はどこにでも転がってて、届いてくる情報の量だけ考えたら、そっちのほうが当たり前に感じちゃうかも」
「狙って成功する人がどれだけいるのか知らないけど、ほとんどの人は宝くじを買うよりは、堅実に積み上げていったほうが人生はうまくまわっていくんじゃないかな」
「そうですね。でも、宝くじ当たったらいいなっていうのは想像しますよ。買ってないけど」
 私がそう言うと、老人は声を上げて笑い、それから手に持っていたチーズを食べた。

「急にうまくいくなんて、とても危険なことだと私は思ってるけどね。人生がなかなか変わらないなんて嘆く人がいるけど、いきなり変わるなんてとても恐ろしいことだよ」
「そうですかね。私もすぐに人生が変わって欲しいほうなんですけど、なんでですか?」
「想像してごらんよ。たとえば、インスタグラムのフォロワー数が急に十万人になったとする。昨日までは千人だった。いきなり百倍の影響力になるんだよ。これまで友達としていた他愛のないやりとりは、そのままでいいと思う? 君が急に人気者になったことを、親しい友人たちは理解してる? 君がふざけてやった学生時代の失敗を誰かがうっかりバラしてしまうようなことはないのかな」
「ああ、そうですね。明日からツイッターのフォロワーが百万人になりました、みたいなことが起こっても、自分にはどうしたらいいか分からないかも」
 私は突然増えるコメントの数を想像してみる。中には誹謗中傷もあるだろうし、自分の意図とは違う解釈をされてしまうこともあるだろう。自分は気をつけられたとしても、友達は急な変化にすぐ気づかないんじゃないだろうか。

「そうそう。すぐに変わるなんて、とても怖いことだよ。だからちゃんと、人生は準備ができてから先にいくようになってるんだ。宝くじは当たらないほうが幸せなのさ」
 室内には時間の合っていない時計が、時を刻む音が響いている。
「景色が急に変わらなくても、一歩一歩積み上げていけば、ちゃんと人生は変わっていくよね」

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