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「話したいことがある時は話さないほうがうまくいくよ」の話

「話を聞いてもらいたいのに、うまくできなかった時ってありますか?」
 数週間前から、デンマークのコペンハーゲンに来ていた。アーティスト・イン・レジデンスという現地に滞在しながらアートを制作するプログラムに合格して、今は金属加工から機織りまで、さまざまな設備が整った工房の一つで制作している。
 そこで出会ったアーティストが、コペンハーゲンに住むアートコレクターさんのことを紹介してくれたのだ。彼はとても話が上手で、いろんなことを教えてくれる。もとから話がうまかったのだろうか。

「たくさんあるよ。でもね、話したい時には、なるべく話さないようにしてるんだ」
「ええー、どうしてですか」
 話したいというのは、何か聞いてもらいたいことがあるんじゃないだろうか。それなのに話さないようにしているっていうのは、どういうことだろう。
「自分が話をしたい時っていうのは、だいたい相手は聞きたくない時だからだよ。それよりも、相手が聞きたい時に話すほうがいい。楽しい時間を過ごしたいならね」
「へえ、そうなんですか」
 私は老人が出してくれた紅茶を飲み、一緒に持ってきてくれたひと口サイズのチーズケーキを口の中に入れた。イチゴの甘い香りが口の中に広がる。
「相手が聞きたくなくても、話したい時ってある気がするんですけど、それでも話さない方がいいんですかね」
「そういう決まりがあるわけじゃないよ、もちろん。でも、なんで話したいんだろう?」
「なんで? そりゃあ、おもしろい話があったから一緒に楽しみたいとか、勉強になった話を共有したいとか」
「ふむ、他にはある?」
「あー、えっと。イヤなことがあったのを聞いてもらいたいみたいなのもあるかも。慰めてもらいたいとか」
「なるほどね、他には?」
「あとは、相手に文句を言いたいとかですかね?」
 徐々にネガティブなことばかりが思いついてしまい、私は自分で苦笑する。

「あはは、あるね、確かに」
 老人はテーブルに置いてあった紅茶のカップを手に取る。部屋には時間の合っていない時計が時を刻む音が響いていた。
「話したいって思うのは、一緒にいる人との時間を楽しみたい時や、自分の気持ちを吐き出したい時っていう感じかな」
 老人は私の話をまとめるようにして言った。
「はい、そうですね。知識を共有したいっていうのもあるかもしれないですけど。相手に役に立ちそうなことを伝えたいっていう」
「そうだね。それは相手のことを大事に感じているから思いつくことだよね」
「はい」
「相手に文句を言いたいっていう時は確かにあるけど、それは自分が話したくても相手は聞きたくないことだよね。ちゃんと聞いてもらえるような状況になるまで話さない方がいいだろう」
「まぁ、そうですね」
 文句なんて言ったところで関係性が悪くなるのは分かるけど、それでも言いたい時は言いたいものだ。理性的にやめられるなら、文句を言いたいなんてそもそも思わないだろう。
「相手の役に立ちたいなら、自分が話したい時よりも、相手が聞きたい時に聞きたい話を話せるほうがちゃんと役に立てるだろう。相手との時間を楽しみたい時は、自分が話したいっていう気持ちよりも、相手とどう過ごすかの方が大事なはずだ」
 老人の話に私はうなずいて見せるが、納得しているわけじゃない。人間はそこまで合理的には動けないものだ。相手が聞きたくなくても、話したい時は話したいし、文句なんて言わない方がいいって分かってても言いたくなってしまうものじゃないだろうか。

「頭で分かっても、実現できるかは難しいところですけど」
「ふふ、その通りだよ。だから、私は自分が話したい時は話さないって決めてるんだ。話したい時じゃなくて、相手が聞きたい時に話すようにしてるんだよ」
「えー、どんな時もですか?」
「そう、どんな時も」
「相手の役に立つ話をする時も?」
「相手に必要な話かどうかは、相手が判断することだ。自分だって、自分が正しいって思ってるところを押し付けたいわけじゃないだろう。自分にとってよかったことが、相手にとっても同じだけよい状態になるかも分からないからね」
「役に立つこともかぁ」
「もちろん、相手の様子を見て、相手にとって良さそうなら私だって話すよ。でもね、これは役に立つんだ、だから相手に聞いてもらいたいって思っていると、相手を変えようとする力が話の中に混ざってしまうんだ」
「うーん、なるほど」
 これが便利だから、こういう方向で動いたほうがいいよとか、今ならこれをやっといたほうがいいよとか、相手のためを思っていたはずの話が、相手の行動を強制的に変えることになってしまわないか。それを老人は気にしているのだと言った。
「人間は変わるものだ。誰かに変えられるものじゃない」
 老人は小さなケーキをつまんで口の中に入れ、飲み込んでから言った。

「話すのは実は難しいことだって私は思っているんだ。聞くほうがよっぽど簡単だ。だけど、話したいことがある時はいったん話さないようにして、ひと呼吸すると、きっといろんなことがうまくいくよ」

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