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「好きなことで生きている人は好きなことの範囲が広いのかもしれないよ」の話

「好きなことだけで生きていきたいけど、それができるのって本当に一部の人だけなんですかねぇ」
 好きなことで生きていく、みたいな言葉は、もうリサイクルしきれないんじゃないかってくらい、町中にあふれてる。誰かが覚えやすいワードをつくったせいなのかもしれないけど、好きなことだけで生涯生きていけるなら、そういう生き方のほうがいいなという気がする。でも、本当にそれが実現できてるって思える人は、自分の周りには多くない。
「好きなことってなんだろう。自分が今やってることの中で、好きなことを見出せるなら、それは好きなことをやっていることになるのかな」
 全部が嫌で、自分にとって少しもいいことがない仕事なんてあるだろうか。給与がいい、楽、時間の融通が利く、キャリアアップになる、好きな人に関われる、業界のことが知りたい。探せばどこか、好きなところは見つかるんじゃないだろうか。

「好きなことで生きている人は、好きなことの範囲が広い人なんじゃないかって私は思っているよ」
 老人はそう言ってから、コーヒーの香りを深呼吸するみたいに吸い込んだ。彼は本当に匂いが好きなのだ。
「好きなことの範囲?」
「そうそう、好きなことって、始めたばかりの時はとても狭くないかな? 絵を描くのが好きという人は、絵を描くことだけが好きなわけだろう?」
「はい、まぁ、そうですね」
 私は老人の言う意味がよく理解できずに、あいまいにうなずいた。絵を描くのが好き、ということに狭いも広いもあるだろうか。絵を描くのが好きな人は、絵を描くことで生きていきたい。それが好きなことで生きるってことじゃないのか。
「だんだん自分の作品が多くの人に好かれるようになってきたら、たとえば、自分の作品を好きだと言ってくれる人に声をかけてもらえることだってあるわけだろう?」
「はい」
「そしたら、そういう人たちにお礼を言う、みたいなのも仕事のうちに入ってくる」
「なるほど」
 企業でいうなら、ユーザーサポートとかカスタマーサポートみたいな仕事と言えるのかもしれない。
「他にも、たくさん作るようになったら、作品をつくるのに必要な費用のことだって考えるようになるかもしれない」
「ああ、はい」
 作品をつくり続けるためには、費用だって必要だ。売れなかったら在庫になってしまうから、保管場所だって考えないと。それは企業でいうなら、経理とかそういうことかもしれない。
「絵を描くことが好きな人は、自分の作品を好きだと言ってくれる人のことも考えるようになるし、作品をつくり続けるために必要なお金のことも考えるようになるだろう。もっと多くの人に見てもらえるように、SNSで発信も始めるかもしれない」
 私は老人の言葉にうなずきながら、彼が淹れてくれたコーヒーを口にする。
「絵を描くことだけが好きだった人は、絵を描きつづけることで、自分の仕事をどんどん増やしていったんだ。好きなことが新しい仕事をつくってくれた。でも、もともとは自分の一番好きなことを広げるために生まれた仕事だから、たぶん、それほど苦には感じないんじゃないかな」
 一つ一つの仕事だけ取り出したら、好きなこととは言えないかもしれない。自分だって経費のことなんて考えなくていいならその方がいいし、作品をつくる時間を一番大事にしたい。でも、そのおかげで生まれた出会いは大切にしたい。

「好きなことで生きていくっていうのはきっと、好きを突き詰めたおかげで、好きなことの範囲が広がっていったってことなんじゃないかな」
 私はそう思うよ、老人はそう言ってほほ笑んだ。

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