見出し画像

応援の声につぶれた写真家と「応援の正体」の話

※まだ20本に達してないのに、20本分の有料記事まとめを買ってくださる方が増えてきたので感謝を込めて有料記事にしました。ありがとうございます!

 コペンハーゲンにあるアートコレクターさんの自宅で、私はアーティストや創作活動にまつわる話を聞いていた。
「私の友達の娘で、応援の多さに創作をやめてしまった子がいるよ。いろんなことがあって仕事を辞めて、でもデンマークだと実家に戻れないからね。友達の家に居候しながら、写真を撮り始めたんだ」
 デンマークでは学校を卒業したら家を出て自立するのが普通だ。その準備のためか、大学に行くだけで国から給与をもらえると聞いたことがある。その代わり、一度自立してから実家に戻るという選択はかなり厳しいらしい。
「彼女はメンタルがちょっと弱ってしまっていて、晴れた日だけなんとか外に出て写真を撮っていた。町を歩き回って、葉脈の写真をね」
「葉脈? 葉っぱですか?」
「そう。人生に楽しいことが見つけられなかったけど、葉っぱのラインだけはなんだか気になってしまったんだそうだ。ただ町を歩いて、葉っぱの写真を撮る。それだけが、彼女の生きている理由みたいな感じだった。
 一緒に住んでた彼女の友達がね。その人は本業が写真家で、古いカメラを彼女に貸してた人なんだけど、せっかくだからカフェで写真展をやってみないかと勧めて、いろいろ準備してくれたんだ」
 週末の二日間だけ開かれた小さな展覧会は、友達のおかげもあって人もたくさん来た。それから定期的に、彼女はそのカフェで展覧会をするようになった。葉っぱのように小さな展覧会だ。それでも展示を工夫して、彼女なりに楽しんでいたよ。
 彼女の父親に誘われて私も一度見に行ってね。その時の作品がそこにあるよ」
 老人の家には、小さなアート作品が壁いっぱいに飾られている。その一つに人差し指より小さいサイズの作品があった。かすれた白い木の額に入れられている。私は手に持っていた紅茶のカップをテーブルに置き、葉っぱを近くで見る。
 それは葉っぱの写真の葉っぱ部分だけ切り取った作品だったが、すごくいい作品かと言われるとなんとも言い難い。葉っぱの写真を撮って切り取る以外の工夫は特にない。色合いが凝っているかというとそういうわけでもない。真似しようと思えば簡単にできるし、すごく普通の作品だ。
「なるほど」
 良いとも悪いとも言わずに、私はソファに座り直してカップを手に取った。作品に優劣をつけるのは好きじゃない。自分が好きでない作品も、誰かにとっては大切な一作なのだから。少なくとも、制作者にとっては。

「最初の頃、彼女はとても楽しんで展覧会の準備をしていた。でもそのうち、やめたいのにやめられないと悩むようになったそうだ。私は彼女と同居していた写真家のレディとも知り合いでね。仕事を頼んだ時に聞いたんだが」
 応援されるのが辛いと彼女は悩み始める。がんばってがんばってと言われるうちに、より良い作品をつくらないといけないようなプレッシャーを抱え始めた。
「みんな、応援してるって言ってはいたけど、彼女の作品を買う人はほとんどいなかった。やめちゃダメ、つづけることが大事、もっとこうしてみたら。無数のアドバイスとエールが届いた。彼女はとても真面目な人だったから、言われたことを全部ちゃんとやろうとして、そしてできなくて立ち上がれなくなってしまった。応援に応えようとして、全員に感謝してまわっていた彼女は、本心では展覧会をやりたくないと思い始めているのにやめられなかった。そしてある日、彼女は写真を撮ることができなくなった。文字通り、立ち上がれなくなったと聞いてるよ」
 老人は紅茶のクッキーを手に取って、ゆっくりと味わう。室内には時間の合っていない壁掛け時計が時刻を刻む音が響いていた。

「応援っていうのは何だと思う?」
 老人に聞かれて、私は自分自身のことを思い返す。応援してると言われても、私はあまり気にしない方だ。昔は応援してると言われるとすごく期待していた。何か助けてくれるんじゃないかと。でも、そういう期待は相手にとってプレッシャーになりそうだと気づいてやめた。だから今はなにも求めてないのだけど、応援すると自分が口にする時は、相手に何かを求めているのだろうか。
「わかりません、なんでしょう」
 私はしばらく考えた後に言い、紅茶を少し飲む。

ここから先は

1,688字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!