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【小説/完結】現代アートミステリー「手と骨」

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリーです。韓国が舞台です。
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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」33

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」33

【エピローグ】

 三ヶ月の韓国滞在を終え、志穂は福岡に戻った。スーツケースを受け取って税関を抜け、手早く真山にメッセージを送る。

「着いたよ。荷物も受け取ったところ」

 到着ロビーに出ると、ニューヨーク行きの便に遅れが出ているというアナウンスがあった。

「福岡発ニューヨーク行き、JC三一〇便は悪天候のため現在、遅れが生じております。ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけしておりますが、今しば

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」32

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」32

 ヨンジャの家はひどく散らかっていた。そこにある物は何も大切にされていなかったし、しまわれていた物も大切なフリをされただけの物だった。ソヨンはもともと、不安定な環境で生まれ育ったのだ。彼女が落ち着ける場所は、制作の中にしかなかった。しかし、生前の彼女の作品はそこまで高い評価は受けておらず、制作しつづけること自体が安定していなかった。

 物がきちんとあるべきところに収まった空間。彼女はその空間に、

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」31

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」31

 英語の分かるスタッフは他の二人に通訳し、三人は少し話し合う。

「分かりました。タイトルやコンセプトとかの変更は大丈夫でしょうか」
「サイズだけ変わりますけど、コンセプトもステートメントもそのままで大丈夫です」
「はい、では私は事務局に連絡して、そのように手配します。ほかの二人が壁を塗るのを手伝いますので」
「はい、お願いします!」
「がんばりましょう!」

 志穂は巨大だった紙作品を、紙のサイ

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」30

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」30

「いったん、ここを出ましょう。それと、個展のオープニングを伸ばすかどうかを相談したいのですが、ちょっと先に事務局と相談しないといけないです」
「はい」

 スタッフと一緒に部屋を出ると、近づきかけた答えが遠ざかったのを感じる。スタッフと別れて志穂は一人、個展会場に入った。
 赤く文字を塗られた作品の写真を撮って、真山に送る。

「こんなにされちゃった。最後のつもりだったのに。もうやめろってことだよ

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」29

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」29

 志穂はアルコの動画サイトを携帯で開く。そこにはこの部屋と自分たちが写し出されていた。コメント欄に次々とコメントが入っていく。
「誰か来た」
「おっ、やっと始まる?」
「さて今度はどんな芸を見せてくれるんでしょう」
「アート! アート!」
「このチャンネル、マジやばいから覚悟しといたほうがいい」
「真の芸術が見たくてきました」
「アートとか分かんないけど、ここだけは楽しみ」
「アート! アート!」

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」28

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」28

 個展開催を明後日に控えた日の朝、志穂はレジデンススタッフに作品の最終説明をしていた。アルコのことがあって、スタッフがかなり頻繁に設置を見に来るようになった。インストールはほぼ完了。明日もう一度、会場を時間かけて歩き回り、細かい調整をするつもりでいる。

 会場入り口には個展タイトルとバナー、それに案内ハガキが積み上げられている。志穂はハガキを手に取ってからもう一度会場に入った。広い会場に色のあふ

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」27

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」27

 遺作のヒントとなりそうなものが写真に映り込んでいるかと思ったが、志穂には分からない。画像を転送してもらうように話し、何か気づいたことがあったら連絡すると伝えて、志穂は病室を出た。

 電車でレジデンスに帰る途中に、志穂は真山に連絡を入れる。「手と骨」を見たということ。本当に素晴らしいと感じたこと。
「今ってほとんどこういう作品つくってなくない? もうつくらないの?」
 しばらくして、返事がきた。

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」26

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」26

「ジュンソのことかな? 残念だったね」
「浅倉さんが無理やりやらせたわけじゃないですよね?」
「僕が? まさか。誰かに言われたの?」
 浅倉は少し身体を乗り出して目を開く。
「ジュンソには入れ込んでる彼女がいたらしくてね。彼女にもっと過激にしたほうがいいって言われて悩んでるのは聞いたことがあったけど。彼はもともと気弱な性格で、小さい道具でコツコツやるのが合ってるタイプだったんだ。チェーンソーと動画

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」25

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」25

 志穂は一瞬、息を呑んだ。それは無数の写真が吊るされた巨大なインスタレーション作品だった。写真の重なりによって微妙な色の協調が生まれている。作品の中を歩くと色の重なり方が変化し、空間に色がついているようだ。
 映像が写真のアップに切り替わると、写真はすべて「物」を写したものであると気づく。テレビの近くに靴があり、カーテンの横にポットがある。日常生活では近くに接することのないような物たちがこの作品で

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」24

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」24

 数秒の沈黙の後、「なにか飲みますか?」と言って浅倉はベッドサイドのミニテーブルに置かれたお茶のペットボトルを指さした。
「あ、いえ、だいじょぶです」
 志穂の視線が揺れながら浅倉の視線に合わさる。浅倉はもう一度しっかり笑顔を見せてから包帯の巻かれた右手で、半分残ったペットボトルのお茶を軽く口にふくむ。
「志穂さんのパートナーが『手と骨』っていう作品をつくってたって言ってましたよね」
「はい。でも

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」23

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」23

【四章 - 最後にはあるべきところに収まる】
 アルコの個展が中止になったために、志穂のインストール期間が十日ほど長くなった。アルコは期間いっぱいまでレジデンスに住むことは許されたが、規約違反をしたことで個展やカタログへの作品掲載などは中止となった。

 個展以来、志穂がアルコをレジデンス内で見かけることはなくなった。メッセージを送ってみるが、返事はない。部屋で死んでいるんじゃないかと一時は本気で

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」22

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」22

 レジデンスを統括する財団の責任者が、市議会議員に何かを話している。責任者とスタッフがアルコと話をした後、オープニングは中止と告げられた。

「展覧会自体も中止ですか?」
 志穂がアルコに聞くと、アルコは楽しそうに「そうだって。明日には撤去しろって言われちゃったぁ。これで日本人作家のイメージ悪くなっちゃったねぇ、志穂ちゃん、責任重大だねぇ」

 アルコは周囲の視線を気にせず、ケータリングのサンドイ

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」21

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」21

 アルコの個展オープニング当日、会場内に用意されていた六つのディスプレイには黒い布がかけられていた。オープニングの時に同時に布を取って見せるらしい。個展タイトルは「死にたくない」。アルコはヘッドホンで音響のチェックをしている。
 奥行きが30メートル近くある広い会場だ。左右に三つずつディスプレイ、四隅に大型のスピーカーを設置してもかなり壁に空きがある。展示会場の中央に、刃が茶色くなったチェーンソー

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餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」20

餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」20

 アルコは画面を見たままだ。動画が終わって別の動画に切り替わる。数十秒の沈黙。
「壁に死ねって書いたのあたし」
 アルコは志穂を見る。
「アート業界ってバカバカしいと思わない? 美とか言ってるけど、この世界は汚濁しかないよ」
 アルコはパソコンを閉じて立ち上がる。
「あたしはここに復讐のために戻ってきた。あたしがやりたいのは、お花畑みたいな美じゃなくて、現実的な汚辱を作品にすること、じゃあね」

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