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赦すということ

私は明日、誕生日を迎えて32歳になる。母から虐待を受け、逃げるように結婚し、親元から距離を置いてやっと10年だ。

残念ながら、この10年で母のことを忘れたことは無かった。恐れ、恨み、恋しさ、許し、愛情や憤怒など、本当に色々な感情と一緒に母を想っては苦しみ喘いできた。

誰かのことをこんなに長く思い患ったのはきっと私の人生において、母をおいて他にいないだろう。夫に対して申し訳なく思うほどにはその頻度は多く、込み上げる感情の温度は底冷えするような冷たいものでありながら情熱的だった。

例えば友達と笑い合う学生を見た時、例えば寄り添い合う夫婦を見た時、例えば何気ない映画のワンシーンを見た時、私は記憶の中の母を思い出しては表情を強ばらせていたのだ。

母は弱い人だった。いつも自分に厳しく、世間からの評価に怯えては、萎縮して自分の行動を戒めてしまう人だった。そしてその戒めを自分の子どもたちにも求める人だった。

誕生日前日に思い浮かべる母の姿は、泣きながら私に「お前がいなければ自分はもっと自由だったのに」と呪詛のような言葉を吐く姿だ。毎日ではないが一度きりでもないその言葉は、私の心の柔い部分を壊死させるには充分な威力があった。だからこうして思い出しては血の通わない心が痛むのだ。

母に存在を否定されることはたくさんあったし、生きていることさえも拒絶されたこともあった。酷いことをされた。物も売られたし、辱めも受けた。だけど母は私を攻撃するときに楽しそうにしていたことは一度もなかったのだと、最近気付いた。

母はきっと苦しんでいた。苦しくてどうしようもなくて、自分で生み出した娘である私を壊そうとしたのだろう。陶芸家が自分の作品を割ってしまうように、母は私の心を割ることで自分を保っていたのかもしれない。私のことを罵倒する母のことは恨めても、もう死にたいと泣く母を責められなかったのはきっとわかっていたからだ。

虐待親からは離れた方がいい。恨むべきじゃない。許して忘れよう。そんな耳障りのいい言葉を私は今まで飲み込めずにいた。だって人に示された感情に従うことに、なんの意味があると言うのだろう。一番自由であるはずの心を縛り付けて従わせるのは、毒親と呼ばれる人たちがすることと違いはないのではないだろうか。許して忘れることはきっと正しい。人生の時間は限られている。限られた時間を有意義に使うためには恨みの感情に踏みとどまっている場合じゃない。わかるけれど、たぶんそれじゃあ救われない。正しさは人を救わない。

母とは絶縁を宣言して数年が経つ。だけど私が連絡を無視しようとも、母は毎年誕生日にLINEを送って来るようになった。返事はしない。既読をつけるだけで、読みもしない。だけど、そのLINEを送る母の心情を考えると、最近は母を憎みきれなくなった。

今までたくさん恨んできた。憎しみも怒りもあったし、親なのに愛情をくれなかったことも、死を望んだことも、とても嫌だった。私が出来損ないの娘なら、親だって出来損ないのくせに。そう何度も思った。自殺で迷惑をかけてやろうと思って実行したこともあった。愛して欲しくて、でもそれは絶対に手に入らないのだとわかっていて泣いた日も数え切れないぐらいにはある。そしてこうして31歳の最終日にティッシュで目元を抑えながらこれを書いているのだから、私の執念も相当だ。

31年も生きてくると本当に色々な人に出会う。たくさんの作品に触れ、世界を知り、人間の生き様や世界の在り方を学んだ先に、自分の人生へのヒントが散りばめられていたのだと気付いた。気付いてからは考えて、試行錯誤の末に自分の答えを見つけていく。人生が来世への試練であるとはよく言ったものだ。なんだかすごく納得してしまったけれど、できることならこの試練は来世のためなんかじゃなく、自分の生き方を決めるための材料にしたい。

親子神話なんて信じていなかった。親子だからとなんでも通じるものではないし、愛されない子どももいる。私はずっとそう思ってきた。それは私が親子で言うところの子どもの立場だったからだ。私は親になる予定は一生ないが、人生の学びで気付けたことがある。それは子どもを愛せない親もいるということだ。私は愛されない子どもがいることはわかっていたくせに、愛せない親がいることは信じたくなかったのだと気付いた。だから自分が愛されないことを嘆きつつも母には愛することを求め続けてきた。なんて不毛だったのだろう。一番親子神話を信じていたかったのは私自身だったのだ。

明日、きっと母はまた私にお誕生日おめでとうとLINEをくれるのだろう。母はどんな気持ちでそれを書くのだろうか。返事はないとわかっているだろうに。そう思うと、母ももうひとつの親子神話を信じていたかったのかもしれない。

そろそろ時間なのだと思う。私たち母娘はきっと一生分かり合えない。それはこの31年間を通じて出た結論だ。だけど分かり合えないままでいいのだと私は思う。母はどう考えているのかは知らないし、きっとこの先仲良く寄り添うことは出来ない。だけどこの多様性の世の中に一組ぐらい、分かり合わず会うこともしないけど、誕生日にLINEを送り合う親子がいてもいいのではないかと思った。

きっとこの先も私は苦しむ。虐待の後遺症は根深いし消えない。だけど母を恨むことはなくなると思う。もういいのだと思ったから。たくさん恨んで憎んで怒ってきたからこそ、私はこの言葉を言えるのだ。人生の正解は自分の中にしかない。それを知ることができたのは、たくさんのいい人や嫌な人、好きな人や嫌いな人に出会えたからだと思う。世界の美しさと残酷さを知って、成長できたおかげだと思う。ありがとう。

これを読んだ誰かの、人生のヒントの一部になれることを願って。私は今日で自分の誕生日を嘆くことを終わろうと思う。成長できる喜びを知ることができる大人になりたいから。まずは母のLINEに返信をしてみようと思う。ありがとうと、一言だけ。

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