ジムスタッフのわざとらしい挨拶に対する苦情に至ったのはいじめ後遺症からだった
上記のつぶやきの原因に至ったのは、
雇い止めによる失業の影響で毎日午前中に通わざるを得ない状況となり、登場したジムスタッフが担当しているけん玉のレッスンの件で質問をして、対応に不満を持つようになったことや、私が通りがかると挨拶をしてくれないことが引き金となった。
マシンでトレーニング中に、彼女の声が癇に障って、避けることを考え、別館に移ってやったことが実母にバレてしまい、鬱がぶり返した。
実母曰く、
無菌室みたいな環境に置くと、厳しいと世の中に対応出来ず、 #引きこもり みたく価値のない #草食系 人間になってしまうことであり、喧騒な刺激を浴びて、免疫力をつけろということだ。
うちの場合は、
#いじめ後遺症 になろうと、 #不登校 は許されない家庭に育った為に辛いことから逃げてはいけないということが染み込まれた為に、逃げられない。
だったら、
家族に言われたことをしつつ、学生時代にした #嫌い避け する他はなく、それで注意をした友達はその経緯を知らないのは当然であるのだから勝手であると開き直るようにした。
それが原因で友達ができなくなったことを受け、克服することを心掛けたものの、雇い止めされた職場で逆にされて、
相手を傷つけたことに気付く。
又、そのスタッフは雇用が保証されない #非正規社員 であり、職種上、挨拶をしないとクビにされる立場なので、前述のようなことになるのは致し方なく、
その当時の私も同様なことを受け、トラウマになってしまったことも一因である。
というのは、仕事上の話をしたこと等でうるさいと一方的に注意をされて理不尽になった経験をした為に、
それで発した音が出てしまうのは仕方がないという反論をしたかった気分であり、そんなことしたら業務執行妨害で訴えられるリスクがあると言う理由でやらなかったことが賢明であり、悪くいえば「注意と託けた #いじめ 」に該当する。
自分からすれば不快なことをするのは相手の問題であり、それでクレームをつけるのは
いかに幼稚であると思い、逃げる私とする方にも「生きる権利」があるのでとやかく言えない。
今の世の中に当てはめると、、他人にクレームをつけられて弱気になったり、反論したのは、
自分を守る為にしたことであり、同様なシーンを見てトラウマになってしまうのは「いじめ後遺症」の影響であり、いくら克服しろと言われようと、自分の個性であることを認めている。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。