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趣味のものを廃棄する時の心理

ここ最近の実父は、腰痛の悪化や衰弱で動けないことから「死ぬ」と連呼していることを耳にし、直近の私がしている #断捨離 をしていることが重なってしまう。

世の中の高齢者は元気に働いていたり、趣味で重い存分楽しんだりする光景が見られるが、

自身が特にとしていたプログラミングの書籍やパソコン、ラジコンを処分している姿をを目にし、死期を迎えていると言わんばかりだ。

所謂、遺品整理を生前からしているようであり、

私自身、就職や遠距離通勤、家事等で時間が潰れてしまい、趣味の時間がなくなってしまったことから、必要性を感じなくなってしまい、断捨離 をしたことを思い出す。

乱暴なことをいえば、

精神的な死と見做し、不本意な理由によって自分の意思を殺されたことになるので同じ趣味をしている人に再会しても「過去のこと」であると切り捨てたことになる。

本当は長続きしそうであろう物を購入したものの、不本意な理由によって手に付けられず、無駄遣いかつ片付けられない人と思われてしまうのは現実であり、

購入した当時の感情とマッチして手に入れた反面、今日のような失業、貧困によるマイナスな打撃を受ける可能性があることを先読みできなかった部分がある。

だったら、

いっそのことメディア等の情報を遮断して、外出しないような #引きこもり  になればいいのではないか。

失業して無収入になった影響で欲しいものが手に入れられない不幸から身辺整理をしている私だけでなく、直近の実父の姿、退職や異動で荷物を片付ける姿を見る度に、

同じ空間からの「別れ」を告げていることになり、荷作りや処分している当人にしては悲しみを感じているものがある。

#とは #生きづらさ

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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。